ケ浦の工事のときでも、買い上げ間際まで誰一人知っちゃおらざった。あっちはきょう日、千人の人夫だそうだでなあ」
小金を貸したり土地の仲買いを商売にしているその男は、胸算用の色を浮べて裏の松山の方へ漫然と目を注ぎながら呟いた。
「この辺もそろそろ躍進地帯になって来よった」
その晩お茂登は、昼間の驚きが諧謔に変ったような笑い顔で、
「路が出来たら、裏表へタバコの看板かけるか」
と笑った。ここの家はそうだが、土地はお茂登一家の所有ではないのであった。
広治は、すこし眼をしばたたくようにしてあぐらの膝をゆすりながら母親の顔を見ていたが、さり気なく、
「大原を出た車は皆この辺ビュービュー飛ばすで」
と、自身の覚えから云った。
「丁度調子が出て来るころだから」
「タバコ買いにも停めんか」
「下市までは飛ばすなあ」
下市は、二つ先のやや大きい村である。お茂登は、時々自転車の灯が掠めて通る店のガラス戸の方と古びた雨戸をたてた裏とをやや暫く仔細に見くらべるようにしていた。
「そうなれば、この家も奥がないようになる。――おり場もないようなもんだ」
留守の寂しさをもって行く筈のこの家にしてからが、息子二人のかえる迄にはどんな模様に変るか分らない。お茂登はそのことを強く感じた。それにまた、二人がきっと還って来ると、誰がその証拠を示しただろう。
この考えにゆき当ると、お茂登の胸は息子たちへの一層深く、生々しい憐憫でふるえるようになった。故郷を思えば、それにつれて母親のことを思うしかないような若者たち。勿論、お茂登にしろ、息子の生活に息子だけしか知らないものがあろうとはおぼろ気ながら察していた。例えば、源一に面会に行った晩、帰りのバスを源一は何故はずしたのであったろう。広治は、兄が公用証を持っていると話していた。それがあるなら出られないわけはなかった。何かの曰くがあったのだ。あの時のことは忘られず、屡々お茂登の記憶に浮んだが、まかれたとしてそれに腹が立つより、そんなにして自分をまいたりした日頃やさしい源一の出発前の心根が、哀れに思われるのであった。
還ると思えばこそ、待つことだけを心において、いない間の淋しさにかかずらってもおられた。二度と息子の生きている姿を或は見ることが出来ないかも知れないのだと思うと、お茂登の心は、昔々源一たちが小さくて自分が襟をあけては乳をくくめてやっていた時分、その乳が張って痛んで来たように切なくいとしく痛んで来て、何とかして、生きていられる今の日々のうちに、息子たちをよろこばしてやりたい。その思いで、喉もつまるほどせき上げられるのであった。
何処となし外に向って何かをさがしているようであったお茂登の眼色に、内に向う濃いしおりが現れた。広治が働きに出ている留守のとき、ガソリン申告書を調べたり、細かく算盤を置いたり、そして考えに耽っているお茂登の頬のあたりには儲けの算段ばかりでないものがあった。
そういう或る日相変らず紫インクのゴム印で隊名を捺した郵便が届いた。○○作戦に参加してと、お茂登の見当つかない地名がいくつか書かれていた。犠牲者も相当出ましたが、幸僕は行動中風邪一つ病まず元気一杯です。ハーモニカは流行歌を歌って兵隊達を慰問しています。眠い夜行軍には特に役立ちました。
眠い夜行軍には、というくだりをお茂登はくりかえして読んだ。二階の屋根へ出て源一がよく吹いていたハーモニカの澄んだ音色がくたびれた眠い闇の中に勢よく流れる様子が思いやられた。いかにもそこに源一の面影が浮ぶような懐しさであった。
出立のとき、源一は頁をやぶった日記と一緒にハーモニカも蓋のこわれた本箱へぶちこんで行った。広治がそれを見て思いつきから慰問袋へ入れてやったのであった。
大きな壊し家の運搬があって広治は徹夜で働いた晩があった。十一月のかかりで、店屋でも背戸に干大根をかけ連ねる季節である。タイヤがあやしくなったと云って、一眠りしておきた広治が車庫で修繕をはじめていた。ひところは一本三十五円ぐらいだったタイヤも倍ほどに騰貴した。
「ひとりか? 作はどこで?」
「眠っとる」
余りうまくもない口笛を吹きながら、広治は体の痛い風もなくジャッキを動している。お茂登は、背戸の柿の木の下へ何度も往復しながら薪を乾した。
「あす、山田の帰りには、忘れんこと炭積んで来ることで」
「ああ」
薪を並べてしまうと、お茂登は車庫の三和土へ来て、広治のわきに蹲んだ。
「どれ、そこ持ってやろ」
「もちっとこっち……うん」
暫く一緒に手伝っていたお茂登は、やがて、
「広ちゃん、お前、こないだの友さんのハガキどこにあるか知っとるか」
ときいた。
「状差しにあるだろう」
「なあ、広ちゃん」
お茂登は蹲んだ足の上で体の重心をおき代えるように身じろぎして、凝っとタイヤ
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