なつこい眼尻に笑いを湛えて母親の顔を見ながら、
「人間の心持はおかしなもんだなあ」
と云った。
「わーっと旗をふっている大勢の何処におるやらどうでもわかりもせん癖に、あの中にうちからも来とると思うと、それだけで勢《せい》が大分ちがうそうじゃ」
「そらそうで! 広治を来さそう。やっぱりここへ朝早うに来れば分ろう?」
「うん」
 だんだん胸がせまって来るのを、涙に溶かすまいとすると、お茂登の声と眼とは、おこったような力みを帯びた。
「ほんに、体だけは大事にすることで」
「うん」
「ほんとで。手の一つや足の一つないようんなって戻ったって、きっとおっ母さんが恥しゅうない嫁女持たす」
「…………」
「いいか」
「ああ」
 云いたいことは詰っていて、両方の肩にみがいって来るのがわかるほどだのに、いざとなると、お茂登には、体を大事にしろとより繰返す言葉が見つからないのであった。その気持は源一にしても同じらしく、親子は暫く不器用に言葉のつぎ穂を失った。
 沈黙はどちらからともなく解《ほぐ》れ、お茂登はいかにも助け合って商売をして来た総領息子に向う口調で、
「さっき、学校で、佐藤さんが、トラック四千円なら会社へ売ってもいいと、お繁さんにことづけよこしたで」
 そして、いくらか平常の気分に戻って、
「四千円なら悪うあるまい。うちのも、広治が入営してしまったら、いっそ売ってしまうか」
と、思いつきのように云った。
「運転手に給料払ったら、とてもこれまでのようにはいけんし……」
 半年先に、次男の広治の入営も迫っているのであった。
「そりゃおっ母さんの考えでどうでもいいが……。あとになって買いかえるというのもことだろう。車庫へ吊っておけば結構二年三年はもてる」
 こんなことも、云って見ればもう今日までにすっかり話しつくされたことである。階下で九時を打つ音を数えて聞いたとき、お茂登は、
「もう、あんな時間か?」
 せっぱつまったような顔付をした。
「十時半の汽車に乗るなら、そろそろ出た方がいいかしれんな。折田がそれでも十二時すぎるで」
 母親のその顔付から目をそらして腕時計の龍頭をまきながら源一が立ち上るにつれて、お茂登も包みをひきよせた。
「お前はどうする?」
 源一は、すぐには答えず、口元をすこし引しめた表情で眼をしばたたくようにしていたが、やがて、
「送って行こう」
 顎をもち上げて襟
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