着しました、と出発のときの礼をのべ、「初めて見る支那大陸は曠漠とした原野のみにて何だか心淋しさを覚えました」昼間の暑さは内地と変らないが夜は冷えこんで防寒チョッキを着ることや第一回討伐に出たが銃声を少々聞いただけだったのは残念だったということなどが、トラックは格別の故障もありませんかという家事への心づかいと一緒に封緘ハガキに書かれてあった。その封緘はエハガキであった。高粱を背景にして石に腰かけている日本の兵隊が、日の丸をかついでいる支那の男の子と女の子とに何か菓子をやっている絵が淡彩で描かれている。こういうものまでこっちで拵えて持って行っているのかと、お茂登は広治にそれを見せながら、
「どうで。なかなか見やすいこっちゃないわけだ、なあ」
と、暮しを頭に浮べながら、改めて傍からのぞきこんだ。無口に広治は何とも云わず、地下足袋をはいたままの膝で店へあがって、板壁に鋲でとめてある新聞の附録地図の前へ行った。
「わかるか? いずれ地図なんぞに出ておらんような山奥だろ」
広治は根気よく顔をすりつけて永い間見ていた。
「あるで、おっ母さん。ここだ、ここが○○で」
「あったか!」
お茂登は、そそくさと店へ来て帳場から埃だらけの老眼鏡をとりあげ、顎から先へ持って行った。
「どこで」
「ここだ、ほれ、○○と書いてある。北支だからここしかないで」
「ふーん」
その声にはかくせない落胆が響いた。地図というものを知らないわけではなかったが、瞬間何か色の見える覗き眼鏡にでも向うような弾んだ気になったので、ただマルだけがぽつんとついているその地点がお茂登を淋しくした。そこに源一がいるというのも、判ったようなまた不思議なことのようでもある。やがてお茂登は眼鏡をはずしながら、いくらかえがらっぽい艶のない声で、
「どれ、その手紙」
と広治に手を出した。
「失わんようにせんけりゃ」
翌る朝、ひきあけにお茂登は村の社へ行って縁の下の土を半紙に包んで来た。それを封じこんで源一へ返事を書いた。「同封の土はお社の土にて、これを肌身離さねばきっとかえれるそうですから、大事にして下さい」そして、船沢の娘もあれきりまだ片づきませんとも書いた。それは源一が一度よそながら見合いしたことのある娘なのであった。続々若い者の出征が始ってから、どこでも縁談は当分見合わせの有様となった。
ペンで普通の便箋に書いた源一か
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