の限界が、はたして私たちの現実生活にどんな実際のかかわりをもって作用してくるだろうか。ここに五十円月給をとっている娘さんがあるとして、その娘さんはおそらく決して二十円の草履は買わないだろうと思われる。大奮発で五円の草履を買う。五円の草履は贅沢品ではない実用品だけれど、その五円の草履の実質は、どんなにもちのよいしっかりしたものだろうか。二十円以上の草履をこしらえてはいけなくなったために、草履屋は五円の品物を前よりはまし[#「まし」に傍点]にこしらえるというようなことがあり得るだろうか。上へ上へと吊り上げられて行ったものが、禁止で、下へ下って一般生活の質の向上としてひろがって来るかといえば、どうもそういうことには行かなそうである。やすいもの、皆が買うもの、やっぱりこの価ではこれ位のものか、という状態に止まるらしい。そうだとすると、贅沢品禁止で何となく胸がスーとした感情は、そういう感情を味わったというやがて忘れられてゆく一つの経験にとどまっているだけで、多数の若い女のひとたちの生活は実質的に変ったところはないことになる。わずかに、自分のできない贅沢は、ほかのひとももう大ッぴらにはやれなくなっ
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