うに細心に努力させているそのことが「勤労者文学」の柵がせまくるしくなって来ていることを語っているという感銘をうけた。視点を前方につけつつ、爪先は細心に足もとをふみわけようとされている。そこに、何となし無理を感じる。この微妙な無理は、報告の冒頭の「勤労者文学を民主主義文学のうちの一派とみる傾向」云々をふくむ大まかな一章のうちにも感じとれるし「足ぶみ状態と第二段階」の、かみわけて云われている勤労者の「意識的努力・観念的たかまり」についての部分などにも、云われるべくして云われずにあるものが感じられる。「勤労者文学」の規定はその自然発生期を明らかに通過した。報告の中では「意識的努力・観念のたかまり」文学以外の多様な勉強の必要ということが、どれもこんにちの労働者と階級の問題としての具体的な方向を示さずに語られている。しかし座談会での話をみても、意識的な労働者が自身に必要と感じているのは、労働者階級としての意識のたかまりであり、理論と生活上の実践が統一された階級者としての感情の成長である。観念としてより強く高くと欲求されているのも、それは決して無差別な「哲学」「観念」ではなくて現実にわれわれの歴史
前へ 次へ
全31ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング