革命についての理解(土地を農民へ)の範囲においてにしろ、もっとも近い同盟者であることも明らかである。主にこの二つのものにプロレタリア文学運動時代の社会的基盤の規定は、おかれた。日本では、第二次大戦による現実からファシズム、帝国主義とたたかう民主主義文学の地盤はひろげられて、この軸に小市民に属する中小商工業者、勤め人、学生など複雑でひろい市民層を含める人民解放のための戦線ができたわけだった。徳永直の報告をきいているうちにいくつかの疑問がおこった。
第一、民主主義革命とその文学の社会的基盤の一部分だけがなぜ任意に「勤労者」というはっきりしない規定でカッコされ、切りはなされたもののように押し出さなければならないのか。
第二、「勤労者文学」の規定のなかで労働者階級を主軸とすると前提されながら、労働者階級の見とおしにたって、当然そこから生れるプロレタリアートとしての文学にふれられないこと。中小商工業者も、学生も、ずらりとならびに包括されている勤労者という概括の中で労働者がただなんとなししん[#「しん」に傍点]になるものとしてだけ、語られているようなのはどうしてだろう。
第三、労働者階級の文学として当然そこにあらわれるプロレタリア文学者、その出身いかんにかかわらずプロレタリアートの歴史的任務の見とおしに立っている前衛的作家及び革命的、進歩的、良心的インテリゲンツィアの文学は、どうして除外されなければならないだろうか。これらの点が疑問であった。
第三回大会はもり沢山の大会で、この重要な提案が時間たらずでしりきれとんぼになったばかりか、さらに次の日、ひきつづいてこの問題を討議することもされなかった。大会の空気は何となし散漫だった。「勤労者的なものを無意識にしろさえぎる空気は、新日本文学会にも底流している。素朴なもの、具体的なもの、日常的なものつまり勤労者的なものに対する挑戦は、文壇ですでにおこっている」と徳永直が書いたことには、次のような当時の事情もあったと思う。
一九四七年は、一方でサークル活動がたかまり、「町工場」その他労働者によってかかれる作品がでてきたし、全逓の文学コンクール、国鉄の集団的文学活動など新しい民主的文学の芽がもえだした。けれどもその半面では、ドストイェフスキーばりの椎名麟三の作品が流行しはじめ、また新日本文学会と同時に活動をはじめた『近代文学』のグル
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