しようがない、だろうか?
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地付き]〔一九四九年十二月〕
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「電燈料がまたあがるかね」
ほんとにしようがないわねえ。
「新聞でね、東畑博士がいっていますよ、日本の主食は三百万トン外国から買えば、芋ぬきで二合七勺配給になるのに、政府は三百七十五万トン輸入しようとしている。これは制限しなければならないって。日本の米のねだんは一石四千二百五十円でしょう? 輸入米は同じ一石が九千六百七十一円よ。誰が考えたってへんなことだと思うわ」
あきれかえるわねえ。でも、しようがないわ、どうせいまの政府だもの。――
考えてみるとわたしたちの日常生活に「しようがない」という言葉が、なんとはばをきかしているだろう。一日のうちに、いくど「しようがないなア」という声があがるだろう。ところが不思議なことには、しようがないなア、といいながらも、実際ではすぐそのあとから、何とかそこに当意即妙の知恵を発揮して、わたしたちは、そのことをともかくしようことのあることにして生活して来ている。この意味では、日本の婦人たちが日々の辛苦をしのいでいる手腕は、しようがないどころのさわぎではない。おどろくべき根づよさをもっている。それだのに、問題が直接家庭の内からはみ出した大きいことと思われる場合、特に政府のやることとなると、日本の婦人のこころもちのうちにある、しようがない、は最大限にこれまでの習慣の魔力をあらわして来る。何といっても日本は戦争にまけた国なのだから、しようがないという気持には、軍国主義で養われた服従の感情がそのまま裏がえされたあきらめとしてにじみ出す。やけになった女の心には、しようがないわよ、どうせなるようにしかならないんだから! と、他力本願がさかだちしたタンカもきられている。
講和の問題がおこって来ているにつれ、役人のある種の人たちは、さかんに、日本はまけた国なのだから講和問題について自分から発言する権利はないのだという考えかたを、みんなの頭にしみこまそうとしている。したがって強い国が日本に対して要求するどんな条件もきくしかしようがないのだという気持をかきたてようとしている。
湯川秀樹博士がノーベル賞を受けた日、「わたしは原子爆弾をつくれないし、そういう興味をもって
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