れるのである。しかし、すべての善意の民主的出版社が自身の拙劣さとひとりよがりだけの原因で、経営破綻したものだろうか。たとえば「民報」がつぶれたのは、編集が下手だったからではなかった。金がない、という原因からばかりでのことでもなかった。もとより読者の支持がなかったから、つぶれたのではなかった。苦闘していた「民報」の最後に打撃を加えた出火事件の真相に対して、官憲はどんな調査をしただろう。
 のこっている老舗の一つが、依然として講談社であり、そのすべての講談社的特性において残存していることは、日本の現代に何を語るだろう。戦争の年々に老舗たる貫録を加え、「信ずるところあって筆を守って来た」或る種の作家のもちのよさ[#「もちのよさ」に傍点]が、こんにち証明されるとしたらそれは日本の人民の生活と文学とに対して、何を告げるものだろうか。

          二

 匿名批評家にアトムA・B・Cとあり、小原壮助という一つの獅子頭を三人のひとがかぶっている。小原壮助1/3が、七月十五日東京新聞の「大波小波」に「出版の自由か不自由か」という一文をかかげた。
『新日本文学』六月号が掲載した、「サガレンの文
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