、まるでちがう「我国の場合」を躊躇なく例としてひいて来ていることは注目される。たしかに「我国の場合で考え[#「我国の場合で考え」に傍点]」ると、吉川英治が一位をしめるかもしれない[#「かもしれない」に傍点]。わたしたちは、一九四九年度の毎日文化賞のための世論調査の結果として、第一位が長崎の永井隆「この子をのこして」であり、第何位かに吉川英治を見出したのであったから。しかし、この一つの事実は、その事実が結論されて来るまでの条件として他のもう一つの予備的事実をふくんでいる。それは一九四九年度の調査のために、毎日新聞は一九四七年度の調査にあらわれた特に読書率の低い地方を対象としたということである。大都市よりも農村に。組織労働者の多いところより、全体として自覚ある労働者のすくない地方、政治的覚醒の著しいと見られていない地方を対象とした。
毎日新聞のこの方法は、何回かの調査のうちに或る均衡を見出そうとするある試みであったかもしれないが、文化賞のための具体的根拠とはなり得なかった。文学の委員会は、それらの調査のどこにもあらわれていない「中島敦全集」とその出版社に文化賞を与えることに決定したのであった。このことは毎日文化賞そのものの社会的文化的意義の動揺を語っている。文化賞の対象の選定にあたって、「老舗」ののれんが物をいう反民主性に屈伏することであるのに、おどろかずにはいられまいと思う。
「同人雑誌」でさえあればそれが新しい文学の温床なのではなくて、旧来の文壇気質やジャーナリズムの現代文学の空虚さにあきたりない何かのつよい生活的文学的欲求があり、その表現として商品性に抵抗する同人雑誌があらわれてこそ、同人雑誌としての意義がある。昭和のはじめに簇出した『文芸時代』『近代生活』『文芸都市』その他は、資本主義の社会の生活と文学の中で個人的な展開を試みなければならなかった人々の同人雑誌であった。したがって、それらの人々の文学上の流派が――新感覚派にしろ、新心理主義にしろ、当時に何かアッピールするものがあったために、商業ジャーナリズムの上に流通するようになるとともに、同人雑誌の中に自然の生存競争が生じ、数名の「老舗」と、歴史の波間にかくされる他の数名とを生んで来た。火野葦平が「文壇登龍門」とし、「道場」という同人雑誌も、そこから現在の文壇有名人の大部分が出て来ているというならば、その底に
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