に、どのように望ましい力として自己を再発見するか、ということは、簡単に保証できない。その人の階級的人間性が、どのように階級としての理由によって覚醒されているかということに多くの比重がかかって来る。階級の文学を、組合主義、目先の効用主義一点ばりで理解するように啓蒙されて来た人があるとすれば、その人は街の角々に貼り出されていた矢じるし目あてに機械的に歩かせられて来ていたようなものだから、一夜の大雨ですべての矢じるしが剥がれてしまったある朝、当然わが行手に迷う当惑に陥る。階級的人間形成の道としての政治、文学の教育は、つけられた矢じるしをたよりに、かけ声かけて走る人々ばかりをつくることではないわけだった。権力とその結托者たちの残虐性によって、どのような孤立におかれようとも、世界の人民としての階級連帯の感覚、その文学としての人民としての人民的世界性を見失わない一個の階級人として構成された存在、その方向へ自主的に発展してゆく可能を与えるものであるはずではなかったろうか。
 現在民主的な新しい文学を念願して、そのために生活的にも文学的にも努力している人々の間に、いくつもの同人雑誌が発刊されている。最近出ているこれらの同人雑誌には共通な一つの特色が見られる。それは、これらの同人雑誌は、一九二五、六年ごろ川端康成その他十九名の同人によって発刊された『文芸時代』のように、「新感覚派」という一つの文学流派を旗じるしとしていないという点である。また「『戦旗』創刊と対立するもの」(伊藤整「新興芸術派と新心理主義文学」近代文学八月)として、『近代生活』『文芸都市』が、「非左翼的同人雑誌のうちの最も有力な作家を集めてつくった集団」を目ざして、創刊されているのでもないということである。特集ルポルタージュ「鋳物の街・川口の表情」「地の平和の緑樹園、安行植木苗木地帯を往く」などで、生活的・文学的感覚を社会的にひろめ深めてゆこうと努力している点で注目をひいている『埼玉文学』にしろ、同人たちは、より人間らしい社会生活の確保と、その文学の確立のために尽力してゆくという大きくて永続的な人民的努力のうちに、埼玉在住の人々の各種各様の文学的傾向と素質とをつつんで、民主的方向に発展させようと志している。会の運営は民主的な会議制を原則とすると明記していることも、旧い文壇の先輩、後輩のしきたりにとらわれたり、ひき[#「
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