、どういう種類の娘さんたちが、そういうモードのパンティーをつけるのかしらないが、ふたつにわかれたもものしまりにヒラヒラのついた形が、こっち向きに干してある。その絵を見て、わたしは何だか自然にうけとれなかった。たとえ一人いる室でも、女は、自分の体の形を説明しているような下着を、こういう向きには干さない。反対に、一枚の布として見える向きにかえる。自然にそうする。自然にそうするところに女の生きた官能も感覚もある。
佐多稲子さんのところに、何年も前からマイヨールの「とげ」という小さい彫像があった。マイヨール独特の親しみぶかいふっくらした裸婦が足にささった小さなとげをとろうとしているところである。その彫像が久しぶりで訪ねた鷺の宮の家のたんすの上に飾られていた。ああここに来ていると思ってながめながら、座布団の上に坐ったとき、わたしは、その彫像の飾りかたに稲子さんの感覚を実につよく感じた。無邪気に足の裏のとげをしらべている可愛い裸婦は、お客に来た人が坐った位置から見たとき、いかにもそれが生きている若い女の心をもっているように、ほんのちょいと体の角度を斜にして、置かれていた。それは、ほんとに自然な優
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