来るのである。
 こうして、実に様々な結婚への態度の一端を眺めわたすと、あらゆる場合を通して一つの気分が貫いていることを感じる。それは、結婚という言葉が、それぞれの実質の高さ低さにかかわらず、何か人生的な落着きという感じを誘い出す点である。誰々さんが結婚するそうよ。まあ、そうお、「誰と?」という好奇心の起る前に、ききての胸にぼんやりと映るのは、それであのひとも落着くという一種の感じではなかろうか。結婚ということを便宜的に考えていない人たちの場合、それは一層感じられるように思う。それはよかったわね。そういう慶びの言葉が、その感じで裏づけられてもいるのである。仕事をもっている男の人たちは、それで落着けばあの男の仕事も一層よくなるだろう。という祝福の形をとった。女で、職業や仕事をもっている人のとき、私たちは、どうせ楽なのではないから、とこの現実の裡で家庭と仕事を両立させて行こうとする女の困難さをあからさまに見た上で、大変だろうがという反面に、でもね、と認めるものがあったのである。
 結婚の幸福というものが五彩の雲につつまれて描かれているロマンティック時代は、時代として過ぎていると思う。反対に
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