これから結婚する人の心持
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)活《いか》され

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三九年十一月〕
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 世の中が急に動いてゆく。その動きかたはただ世相の移り変りというような表現で云うよりもっと深いものであり、渦の底は大きいものであることが、私たちの日常に感じられていると思う。日本だけのことでなく、これは世界のことになっている。それもやっぱり私たちの日々の感情のなかにはっきりと映っていると思われる。
 日支事変がはじまって暫くすると、若い人々の生活にはいろいろ新しい問題がおこって来た。そのなかに、結婚のことがあった。これから結婚しようとしている人、もうじき結婚をするような運びになっていた人、或いはもう婚約がある人々、そういう人たちが、急な境遇の変化で、対手の男を前線へ送らなければならないような事情がどっさりおこった。
 既に結婚していれば、それがたとえ僅か半月ほど前のことであっても、夫婦としての二人の間はもう動かせないものとなっていて、良人を送り出して後の新妻の生活は、良人を心持の中心において何とか方法が立てられた。待つ、ということのなかに、日本の女の忍耐づよい特徴が活《いか》されもし、期待されもしているのである。
 これから結婚しようとしていた若い人たち、ある人と結婚してもいいというように互の心持が動いている過程にあった人々は、もっと複雑な陰翳を蒙った。いつ訣れなければならなくなるか分らないから、では一日も早く二人の生活を一緒にしよう。そういう風に行く場合も多かったろうと思う。その遽《あわただ》しさ、幸福を二人の手の間からとり落すまいと、互に扶け合って時を惜しむ営みの姿のなかには、涙ぐまれる眺めがある。けれどもそこには、甲斐甲斐しさもあるし、運命をさけてまわらないでそのなかから最上のものをとり、最上と思われる生きかたの道をつけて、生き越して行こうとする若い人々の努力が汲みとられる。
 最も一般的に感じられたのは、訣れを前に見て、その最悪の場合というものを考えて、結婚をのばし、躊躇する気分ではなかったろうか。千人針というようなものが目新しい街頭風景であった頃は、確かにその気分が親たちの分別から流れ出して、若い男の思慮へ入り、そして、若い女のひとたちの眼のなかにも読みとられる反映となっていたと思う。多くの若い婦人を読者とする雑誌の小説などは、敏感にそれに触れた。愛をもってその人の幸福をねがっている男が、自分に起った出征ということから予想される様々の場合を深く考えて、対手の女には遂に心を語らずに出発して行くこととか、婚約を一先ず解いて、女の運命を混乱から守っておいてやる、というような行動が、勇敢な男のヒロイックな感情として描かれていたのを覚えている。その場合、女のひとの感情は、何となし型にはまって、昔ながらの受け身な風で、涙を抑えながら出発を見送って旗を振る、というようなおさめかたであったように思う。
 男の側から気持をそういう方向にもってゆく場合が目立ってとらえられていたというのも、云って見れば、暗黙のうちに女のひとの心の中に生じていた結婚に対する遅疑や逡巡が照りかえしたものとしての現れであると云えるところもあろう。時局に際しての女の身の上相談として、実際に、どうしたらよかろうという問いがそういう立場にある女のひとから出ていたのだから。
 一応そういう躊躇のもたれるのも無理ないところがある。日本の習慣の中で、結婚は決して若い男と女との愛情だけで解決するのではなくて、必ず家と家とのいきさつになり、双方の両親が多くの発言をもち、娘の良人としての男とは比較にならない程、若い妻には嫁としての負担が加わって来る。ましてや男の側の両親がその結婚に賛成していないとか、女の両親が娘の連れ合として認めていないとか云うことになれば、細々とした日常で女のうける苦痛は絶間ないであろう。そういう心配はないとして、結婚のその夜召集が来たというような実例は、目前に自分たちのこととして思うとき男にも女にも考えさせるものを持っているには違いない。逡巡にもそれとしての理由があるし、又男のひとが、解消の方へと方向をかえてしまい、それで自分の心も思いのこすところなく落付けようとする或る意味の勇気のようなものも、現実の諸関係を見くらべれば分るところがある。けれども、人間の本心に立っての生きかたは、今日の現実の中でこういう道しかないものだろうか。片はついた気持だろうけれども、何かそこに失われているという感じはないだろうか。
 ところで、現在結婚とは一般にどう考えられているのだろう。
 昔の慈愛ふかい両親たちは、その娘が他家へ縁づけられてゆくとき、愈々《いよ
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