した場合を考えても、そこに落着きの見出せる人は少いであろう。自分の心でどう思っていても、それにかかわらず、そういう変動の或るものには生じて来るのであって、しかもそれを凌いでゆくのは、結局自分たちの心の働きによるしかない、そこに真面目に生活を考えている人々の現代の沈潜的な態度があると思う。
真面目に現実的に結婚について考えている人は、今日ではその落付かなさの上に立って、その中で生活を建設して行こうという決心をしているのが実際である。危くなりそうな安定を求めて、結婚の前に逡巡するのではなくて、それを一応はこわれたものと覚悟して、だがそのなかで新生活を創ってゆく、その心持であると思う。この二三年の歴史の動きは若い人々に或る抵抗力と積極性とを与えたと云えよう。
「小さいながらも愉しい我が家」という片隅の幸福が獲《と》れなくなって既に久しいことであるが、今日から明日への若い人々は自分たちの愛を道傍の仮小舎でも出来るだけ活したいという気になっていると思う。そして、そのことのためには、愛が益々その智慧を深めることが求められて来ている。
愛にはよく永遠とか、永劫変らぬとかいう形容が飾りとしてつけられる。けれども、この刻々に変ってゆく一般の情勢のなかで、その変化にひきずられずに変らぬ愛が満たされているためには、全く現実的な周囲の出来事への判断とその理由への明察と、人間生活の真の成長への評価を見失わない堅忍や行動が、求められていると思う。今日の世の中の一方には贅沢《ぜいたく》と奢侈《しゃし》と栄達とがある。もう一方の現実のありようとしては、より多くの人々が益々困難の原因や不便についての深くひろい社会的な真の動機を理解してそれに人間らしく処してゆく必要におかれており、それは一つの国としての事情からもっと広い国々での生活のありようとなっている。
私たちの耳目が満州・支那に向けられ、又ポーランドに向けられている今日の生活感情は、破壊と建設と葛藤との世界的な規模のなかで、沈着にその落着かなさに当面し、自分たちの結婚をもただ数の上での一単位としてばかり見ず、明日に向ってよりましな社会を育ててゆくべき人間として、質の上からの一単位として自覚し、生活してゆくことの意義を、痛感しはじめていると思う。こういう時代での生きかたとしては、或る場合、騒がしい立身出世の波をも静に自分たちの横を行きすぎさせておけるだけの真の落ちついた態度が、妻としての若い婦人に必要なこともあろう。キュリー夫人の伝記は、殆どあらゆる若い人々によまれたのであるが、キュリー夫妻が、アメリカからの手紙でラジウムの特許をとるかとらないかという問題について言葉少なに相談しあった一九〇四年の春の或る日曜日の十五分間のねうちこそ、評価されなければならないと思う。彼等はラジウム精錬の特許を独占して驚くべき富豪になる代りに、人類へその科学上の発見を公開して、キュリー夫人は五十歳を越してもソルボンヌ大学教授としての収入だけで生活して行った。キュリー夫妻の人間としての歴史的な価値は、その十五分ほどの間の判断にかかっていたと云える。人生には平凡事のなかにもそういうような時がある。一つの動きに、その夫婦の生涯の転機がひそめられているようなことがある。盲目的に押しながされてそういうモメントを越したことから夫妻が陥る禍福の渦は、これまで幾千度通俗小説のなかで語られただろう。
この前の欧州大戦は一九一四年八月一日に始まった。今度の狼火《のろし》は九月三日で、その間に二十五年の歳月があった。あの時分、二十五歳であった若い娘、若い妻、そしてその若い母のおののく胸に抱きしめられて無心に飢餓の時代も経た嬰児たちは、今や二十五歳の青年であり、娘である。彼等の或るものは、昔その母が彼女を胸に抱きしめたように幼い子供を抱擁して、前線へ出発して行く良人の傍を並んで歩いて行っているであろう。それを眺める父と母たちの思い、彼等に何を想起させ、何を望ませているであろうか。ヨーロッパの天地は再び震撼しはじめているが、この前のように盲目の狂暴に陥るまいとする努力は到るところに見られており、男に代って社会活動の各部署についた婦人たちも、二十五年昔よりは高められている技能とともに単純なヒロイズムにのぼせていないものを持っている。
ロンドンで九月三日以後日々結婚登録をする者が夥しい数にのぼっていると報ぜられている。そのことも自分たちの高揚した気分からだけされているのでないことは、十分察せられる。生活ということがそこでも考えられている。
刻々の推移の中で、人間らしい生活を見失うまいとする若い男女の結合が、今日の新しい結婚の相貌であるということは、日本について云えるばかりでなく、いくつもの国々の、心ある若い世代の生きつつある姿であると思う。[#地
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