。瞬間つい気取るようにして、眼のなかには自分を調べる色がきらめくのである。ビルの昼の休みの洗面所の鏡の前に若い女事務員たちが並んで、顔をいじりながら喋る時の独得の調子で、盛んに喋っているのも面白い。
ベルリンで或る洒落た小物屋の店へ入って、むこうにも面白いハンド・バッグの並んだショウ・ケイスがあるからそちらへ行こうとして爪先を向けたら、いきなり鏡にぶつかった時にはほんとにおどろいた。
自動車の運転
日本ではまだ女のひとの生活に自動車を運転するということが普通になっていない。自動車が家にある女のひとが自分で動かせるようになりたいと思う気持はその人としては自然なのだろうが、抑々うちに自動車があるということが、日本の市民生活にとってあたりまえのことではないのだから、はたの心持もおのずから複雑にうごくと思われる。
先年或る実業家の夫人が子供をのせた車を自分が操ってある避暑地から東京へのかえりがけ、誤って崖から墜落した事故があった。そのとき新聞は、夫人が操縦していたということにいくらか刺戟的なものをふくんだ見出しをつけて書いた。あぶない真似をしないがいいのに、そういう感じがその記事を書いたひとの感情であったと思う。
ダットサンが、若い女のひとをつかってデモンストレーションしたことがあった。今でもつづけて行われているかどうか知らないけれども、それはやっぱり女の仕事として爽快なものとは云われない感じがあった。ダットサンぐらいは女でも自由に動かして然るべきものという心持の上に立てられた企画ではなくて、ダットサンに手が出したい階級の興味、目新らしさの要求へ、女がもって行って飾られたように見えた。そういう女のひとをのせたダットサンが街角で故障をおこして困っているところを、お手伝いしましょうか、とよって行って、動けるようになったら、ありがとう、であっさり別れず、それから細君を加えない一種の交際がはじまるというような現実もあるらしかった。そういう風に嬌態化された女の技術と生活とのありようはここでも佗しく表れているのであった。
イヤハート夫人の「最後の飛行」を読むと、或る年の誕生日のお祝いに彼女のお母さんが一台の中古の飛行機をくれたことから、彼女の婦人飛行家としての出発が始まったことが語られていて、そういう日常の感情をこしらえた条件としてアメリカにフォードが行き
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