在住の日本人にあらわに思い知らされた敗亡する侵略者としての足どりは、それらの人々にいってみればさか恨み[#「さか恨み」に傍点]の感情をもたせたとも思われる。日本の軍国主義にだまされた自身のいきさつを思うよりも、こんな目にあうその苦しさを、敗戦と、いまは屈従から立って自分たちをかこむ土着民への恐怖と憎悪の感情にこらして、引あげの辛苦を経験した。これら幾十万の人々、特に引あげてきた婦人たちの身に刻まれているのは戦争の実体を究明しようとする意志よりも、引あげの日々を貫いた苦しさ、不如意、不安であろう。
「流れる星は生きている」の著者が良人とわかれて三人の幼子をひきつれていた若い母であったことは、引あげの辛苦もなみなみでないものにした。著者がその惨苦に耐えた火のような生きる意欲そのもののはげしさ、生存のためにむきだしにたたかった、それなりの率直さで、現象から現象へ、エピソードからエピソードへと押しきる流れで語られている。
 読者は次々と展開する插話にひきいれられて、口をはさむひまなく読むのであるが、さて、読み終って、わたしたちの心に、落付かない感じがのこされるのはどうしてだろう。
 筆者は率直
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