つの著書が、それぞれにちがった筆者であるというようにいっている。
記録文学のあるものは、クラブチェンコの「わたしは自由を選んだ」を筆頭として、国際的にも一つの注目すべき反民主的利用の道をひらかれてきた。わたしたちは、明日のよりよい社会のために、書かれているその範囲のことにうそはないという程度の記録文学から、一歩すすんで、それが社会の歴史の諸関係の事実を語っているということのできる記録文学をもとめる。
「流れる星は生きている」(藤原てい著)をよんで、この生活力の旺盛な若い母が三人のおさない子をつれて新京から引あげてきた物語が、ひろくよまれるわけもうなずけた。軍国主義の敗北とともに、満州、中国、朝鮮、台湾、樺太、さらに遠い南の果てから内地へ引きあげてこなければならなかった日本人男女は幾十万人あったろうか。台湾、朝鮮のような植民地または中国、満州のような半植民地に発展していた[#「発展していた」に傍点]人たちは、その土地と社会が本来は他の民族に属するものであって、そこで日本人は侵略者の立場をもっている事実を忘れた、優越感に安住していたのではなかったろうか。
一九四五年八月十五日から植民地
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