せまでした。が、八月十五日から数日たってやっと降伏した知らせが届いた満蒙奥地の開拓移民団の正直な老若男女が、ことの意外におどろいて数百名の生死を賭す団の進退をうちあわせようと駆けつけたときには、もうどこにも関東軍の影はなかった。そのために、うちすてられた開拓団のいくつかは、数百名をひとかたまりとして女から子供まで、絶滅させられた。満蒙奥地の住民のそのような怨み、憎悪が開拓団に向けられた理由こそは、関東軍が絶対命令で実行させつづけた住民からの収奪であったのに。きょうになれば、著者の耳目にこのいきさつもつたわっていよう。
 とるものもとりあえず新京を脱出した八月九日という日は、十五日より六日も前で、関東軍、役人たちの遁走前奏夜曲であったということを著者は、なにかの思いでこんにち、かえりみるときもあるだろう。新京にいてさえ、一般住民は不意うちをくい、おいていきぼりにあった。関東軍の威勢は日本の運命を左右し一人一人の首ねっこを押えていただけに、この歴史的事実にたいして、一般の人々の抱いている人間的道義的侮蔑は深く鋭いものである。日本の武士道とやまとだましいのはりこ[#「はりこ」に傍点]の面《め
前へ 次へ
全17ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング