海上の島がもう一寸物足りないとか素人評をやっていると、女ながらもそういう画材を勉強している友達が、考えると船なんてぼろいなあ、と百円の絵一つをさばきかねる婦人画家の生活を比較した。
 現在はまだ所謂有名になっていないでも、これはと目星をつけた男の画家の絵を、コレクションとして買っている人は決して無くはなかろう。あとで価が出るからと買うのだが、価が出るということには、現在の社会のくみ立てにしたがえば、それだけその画家の芸術が成長するだろうという卑俗ながらも期待がこめられている訳である。
 婦人洋画家として今日著名なひとは既に何人かある。その制作を系統だてて蒐集しているという人が果してあるだろうか。女の画家は、画壇で統領となれないから売れないと云われるが、画壇で統領になれないのは、現在の社会へ女が入ってゆくためには、門が限られているということの一つの反映でもある。画壇政治をぬいて考えて、或る婦人画家の芸術的な発展のあとに感興を覚えて、買い集めようとする人の尠い、殆ど皆無らしいことには何か私たちを考えさせるものがある。
 事情にくわしくないから間違っているかもしれないが、婦人画家は良人が画家
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