である場合、画面に手を入れて貰うことを余りこだわって考えていないという話を聞いた。絵のことを云っている人が、婦人画家の芸術は相手によってひどく変るし、良人のいるときは却って良人よりいい絵を描くと思われた人が、良人と別れたり死なれたりするとパッタリ駄目になるということをあげていた。
 小説と絵とのちがいどころでもあろう。けれども、そういうような便宜な習慣とでも云える仕来りのために、婦人の洋画家の芸術成長の可能性やそれに対する期待が一般にひくめられているとすれば、やっぱり残念だと思う。まして、大局ではマイナスの作用をしつつ、目前ともかくプラスである協力者をもたず、或は良人と自身との画境をはっきり弁えて自力の成熟をしようと心がけている若い少数の婦人画家たちは、現在の常識ではどっちを向いても損であり苦しいということになる。
 日本ではマダムの道楽も、大体は未だ少女歌劇の女優をひいきにするに止っているのであろうか。

        波間

 東海道線を西の方から乗って来て、食堂などにいると、この頃の空気が声高な雑談の端々から濛々とあたりを罩《こ》めている。儲けたり、儲けそこなったりの話である。
 或るカイタイ会社が北海道のどこかで暗礁にのりあげて三年の間ゆらゆらしていた五千トンの船を二万円で買った。ドックに入れて、四十万かけて底をはりかえた。そして、二十万円に売った。
 ドック料が一日五千円ばかりで、ドック側から云えば、なるたけ頻繁に船の出入りがある方がいい。ところが、その船の修繕には二ヵ月もかかって、その冬期は見す見す何杯かのがしてしまったが、手間どったには理由があった。
 話はヨーロッパ大戦当時にまで遡る。当時そこへ新たにドックをこしらえて儲けた某という人物があった。大戦終局とともに持ちきれなくなって、O・Tに売ることになり、O・Tから某の友人であった二人が専務として入った。その一人は技術家である。某はこの技術家と特に親交があって、将来はこの人に経営させる口約もしたのだそうである。
 最近資本系統が代って、その技術家はやめることになり、退職金を半分貰ったきりなので、愈々そのドックをやりはじめたいと、O・Tと交渉したが、某は既に没しているので、裁判沙汰となった。書類というものはなかったから、どうも技術家の不利である。そこで、もう一人の専務が羽織を一着に及んだ乾分をO・T社
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