話されるのをきいた。その娘さんは土方さんと云い、お茶の水の上級生であった。成美というのが、そのお婿さんであろうと思う。
ショルツ氏についてコンチェルトを弾く位だったひとが、結婚した良人がシントーイスムでピアノにさわれずいたずらに年を経ている例がある。
自由学園の音楽教育などは、日々の常識のなかで、そういう非人間的なものを減らして行く役に立つのだろう。けれども、先日の演奏会をきいたり、観たりして、本当の意味での音楽への愛、感性を一人一人の若い心の中に目ざめさせ、それを生活の味い深めるものとするのに、ああいう集団効果を、どっちかというとこけおどし風に強調した方法が、果して役立つかどうかと疑問に感じた。ヴァイオリンなどひどい姿勢で顎へおしつけて、弓だけ間をはずさずこすっている少女が何人もある。自由学園に子弟をやったりする親たちの或る心持の満足は理解されるけれども。日本の音楽の成長の過程には一面にああいう道も辿らねばならないのであろうか。
[#地付き]〔一九三九年八月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「音楽評論」
1939(昭和14)年8月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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