から、大抵そのうねった路を抜けて、やっちゃば[#「やっちゃば」に傍点]の方へ出たり、田端へ出たりしたものらしい。そういう技術的な専門通路が、からたち垣の一重外を通っているのであるから、自然、うちへも何度か顔を見せぬ君子が出没した。
私が六つぐらいだった或る夏の夜、蚊帳を吊って弟たち二人はとうにねかされ、私だけ母とその隣りの長四畳の部屋で、父のテーブルのところにいた。テーブルの上にはニッケルの浮模様のある丸いランプが明るく灯っていて、雨戸はすっかり開いていた。母は外国にいる父へやるために、細筆で、雁皮の綴じたのに手紙を書いている。私は眠いような、ランプが大変明るくていい気持のような工合でぼんやりテーブルに顎をのっけていたら、急に、高村さんの方で泥棒! 泥棒! と叫ぶ男の声がした。すぐ、バリバリと垣根のやぶれる音がした。母が突嗟《とっさ》に立って、早く雨戸をおしめ、抑えつけた緊張した声で云うなり、戸袋のところへ走って行った。私は、戸袋から母がくり出す雨戸を出来るだけ早く馳けて押した。母は台所の方へ行って何か指図をしていたが、そのときのは、となりの家の門の植込のところで捕えられた。桑田さんの書生さんが、あやうく斬られかかったというような話を、こわさで息を弾ませつつ傍できいていた。
次のときは、もうそれから何年も経って、裏のからたち[#「からたち」に傍点]垣は忍返しのついたトタン塀になっていた。そのときは誰も知らず、しかも用箪笥が裏の茶の木の横までかつぎ出してあった。なかのものがその辺にとりちらされ、鼈甲のしんに珊瑚の入った花の簪が早朝の黒い土に落ちて、濡れていた。
一番終りのときは、弟二人が大きくなっていた。上の弟が夜あけに不図目をあけたら、足許の戸棚のところに何か黒いものが見えたので、何の気なしに起きかえったらそれは人間の姿で、懐に手を入れ一種威嚇の勢を示した。上の弟は、一言も発せず、そのまんま又仰向けに臥てしまった。
二番目の弟は学期試験で、一人早く起き出し、食事をする部屋のテーブルの電燈の下でノートを読んでいた。すると、正面に当る廊下の両開きになっている扉の片方が細めにすーと開いて、そこから誰かの眼が内をのぞいた。弟は、書生さんが起しに来てくれたと思った。帳面から顔をあげず、もう起きてるよ、と云って、読みつづけていた。暫くして上の弟が起きて来て、初めて先刻の
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