様なその色、そのかがやき、そのさきのほそさ、ひやっこさ、等がそれに似寄った心をもって居るお龍の気に入って居た。まじめにまじりっけのない気持でお龍のところに通って来るまだ若い男があった。お龍はいつもと同じ様にその男に自分の力をためしてはほほ笑んで居た。馬鹿にしたほほ笑みも男は嬉しく思って笑いかえして居た。男はごくまじめな正直な様子をしてお龍のところに来た。一事[#「事」に「(ママ)」の注記]口をきくにでもお龍が上からあびせかけるのを下から持ちあげて返事をしお龍の見下して笑うのを男は見上げて笑い返して居た。
「これあんたにあげましょう」
人を馬鹿にした笑いを目の中にうかせて女は机の上の短刀をぬいた。
「エ、何にしに、……死ねと云うんかい……」
男は瞳をパッとひろげて云った。
「フフフどうだか一度は死ぬ命ですワ、お互さまに……ねーえ」
根生わるく男の目のさきでピラつかせながらこんな事を云った。美くしい眼をすえて刃わたりをすかし見ながら、
「あたし今何でも思う通りに出来るのよ。あたしは今お前の首を犬になげてやる事も出来れば空をとぶ鳥に放ってやる事も出来るのよ。犬がほってにげたら空の鳥が来てたべるだろうワ。……ねえ」
すんだ声で女は云った。男は芝居の科白を云って居るとは思わなかった。
「何云ってるんだろう……気味の悪い人だ、そんなにおどかさずにおくれ」
「おどかしてあげる、――どこまでもあんたが弱ってへとへとになって死んでしまうまで」
「そんな美くしいかおをしてそんなこわらしい事を云うのは御よし……」
「およしだって、貴《あ》んたは私になんでも御よしと云う事は出来ないと思ってらっしゃい。エエそうだ私は世の中の男をおどしてビックリさせて頓死させるために生れて来たんですもの――」
「お前、恐ろしくはないんかい。マア、そんな事を云ってホンとうに娘らしくない」
「恐ろしい、世の中に恐ろしい事なんかはありゃあしませんわ」
「私は今までにないほどの男にかける呪を作ろうと思ってるんですもの、わら人形に針をうつ様なやにっこいんじゃあないのを……呪――好い響をもった言葉でいい形《かっ》こうの字だ事」
男はおびえた眼色をしてこの話をきき女は勝利者の様な眼ざしをして話した。
「いやな事云うのはもうやめにしてどっかへ行こう、サ、私は後がひやっこい様な気がする――」
「そうでしょう、そのはずだ、あんたの後には短刀をにぎってかまえてるものがあるんですもの……」
「そんな事ばっかり云って居ずと、……サ、どっかに行こう」
地獄の絵のかかって居るところ、短刀のあるところ、女の力の存分に振りまわされる所にたった一人男と云うまるで違った気持と体をもった自分が居ると云うことはキュッと一〆にくびられてしまいそうな、ほんとうに首をほうられそうな気がしてならなかった。自分も同じ男の沢山見えるところへ早く行きたいと思ってしきりにせめたてた。女はそのせかせかした男の瞳を見ては笑って居た。
それから間もなく水色のお召のマントに赤い緒の雪駄、かつら下地に髪を結んで、何かの霊の様なお龍と男はにぎやかなアスファルトをしきつめた□[#「□」に「(一字不明)」の注記]通りを歩いて居た。通る男も通る男も皆自分からお龍をはなしてもって行きたそうに思われた、そして又女も自分より外の会う男一人一人を知って何か目に見えない声で話し合って居る様に思われた。自分より二寸ほど低いところにある女の瞳を男はいかにも弱々しい目つきをしてながめた。男が見た前から女は男のキョトキョトした様子を見つめて居た。ジッとのぞき込んだ男の瞳と動かずにある女の瞳とはぶつかって男はふがいなく目をそらしてしまわなければならなかった。
「わたしゃもうあんたとあるくのがやになった――」
お龍はフッと立ちどまって斯う云ってサッサッと向う側を一人でわき目もふらずに歩いた。女がこんな風をするのはただあたり前の女が半分あまったれでするのとは違って何となくおそろしいものの様な気がして男はすぐにも追って行って又ならんで歩きたかった。けれ共自分は男だと思うと女、たかが十七の女に自分の心を占領されて居ると云う事をさとられるのはあんまりだと思ってともすれば向く足をたちなおしたちなおしあべこべの道を行った。お龍とすれ違う男と云う男は皆引きつけられる様に行きすぎたあともあたりをはばかりながら振り返って居るのを男は見て、どうしても独りで歩いて居ることは出来なくなった。
「何だ! いくじなしにもほうずがあろうワイ、ハ! 馬鹿馬鹿しい――」
自分で自分の心を男は罵って見たが却って女をふり返りふり返りして行く男達がねたましくなって「あの女は己のものだぞ」と男達に見せつけたい気がますばかりだった。口で云えない様な強い力をもった女と面と向って居るのがおそろしくて男と云う自分と同じ心と体をもったものに会いたさにわざわざ出かけて来たのに男の心には却って辛い思がますばかりであった。ひろい道を斜によぎって男はお龍のわきにぴったりとよりそって歩いた。
女は笑いもしなければ頭も動かさないで女王が舌をきられたあわれなどれいを御ともにしてあるいて居る様な気高さと美くしさを見せて居た。男はどうにかしてそのいてついた様な女のかおの一条の筋肉でも自分の力で動かして見たかった。外套のかげから水色のマントのかげの象牙ぼりの様な女の手をさぐってにぎった。しらんかおをして居る女のよこがおを見ながらソッとにぎりしめるとひやっこいするどい頭の髄まですき通す様な痛さがあたえられた。男はハッと手をひいて一足わきによって女を見た。女のうす笑をする歯は青いほど白い。
男の頭の中にはさっき見せられた短刀の事も毒薬を注射する針のするどさの事もおびやかさせる様に思い出された。心臓に重いものがかぶさった様な気がして来た。死にかかった人がする様な目つきをして手をのぞき込んだ、きずはついて居ない、ただ青い手の甲に咲いた様にルビーを置いた様にコロッとした血がほんの一っ[#「一っ」に「(ママ)」の注記]ぴりたまって居るのを見つけた。
男はそれを見て急に痛のました様にチューチューとそこを吸って紙でふいて外套の中にしまった。何でどうしたんだかどうしても分らなかった。
「フフフフフフ」
鼻の先でとび出した様に女はそれを見て笑った。その声をきいた男は腹だちながら考えながら、「ヒヒヒヒヒヒ」と笑い返さないわけには行かなかった。恐ろしさと又何とも云う事の出来ない様な感情におそわれて男は口をきく事が出来なかった。だまって女の傍にならんで歩いて居るといきなりよろけるほどに男はこづかれた。
ビックリした目を女に向けると水色から生えた様に出して居る手の指先に何かが光って居る。歩く足をゆるめるとそれが紫の糸の通って居る絹針だと云う事とその先に一寸曇って血のついて居るのが分った。それと一緒に自分を射したものも分った。男はそれをとろうとすると女はつ[#「つ」に「(ママ)」の注記]ばやく手をひっこめてどこか分らないところににぎってしまった。男は手を出したら又刺されそうに思われたんでそのまんま又歩き出した。男は、女の前ではどんなに気を張ってもうなだれる自分の心をいかにもはかないものに思った。
「別れっちまえ下らない、お龍ばかりが女じゃあありぁしない……」
斯うも思ったけれ共、それはごくほんの一寸の出来心で世間知らずの娘が一寸したことで死にたい死にたいと云って居ながら死なないで居ると同じな事でやっぱりそれを実行するほどすんだ頭をもって居なかった。
あてどもなく二人は歩き廻って夜が更けてから家に帰った、ポーッとあったかい部屋に入るとすぐ女はスルスルと着物をぬいで白縮緬に女郎ぐもが一っぱいに手をひろげて居る長襦袢一枚になって赤味の勝った友禅の座布団の上になげ座りに座った。浅黄の衿は白いくびにじゃれる蛇の様になよやかに巻きついて手は二の腕位まで香りを放ちそうに出て腰にまきついて居る緋縮緬のしごきが畳の上を這って居る。目をほそくして女はその前に音なしく座って居る男を見つめた。
「そんなに見つめるのは御よし、私しゃ生きて居る人間で鏡じゃあない」
「ほんとうにいかにも人間らしい男らしい方ですわ、男のだれでももって居る馬鹿な事をあんたはちゃんともってるんですもの――ねえ」
女は笑いながらこんな事を云った。胸のフックリしたところにさっき自分をつっついて居た針の光ってるのを見つけて
「針を御すて早く、あぶない」
と男は不安そうに云った。
「あんたがこわいから? ほんとにさっきは面白かった、先にどくでも塗ってありゃあなお面白いんですわ」
「それで私が段々紫色になって死ねばサ、そうだろう」
「エエ、わたしゃ人間の死骸と蛇と女郎ぐもとくさった柿がすき」
「そんないやらしい事ばっかり云わないもんだよ、私は段々お前がこわくなって行く。逃げ出したいと思ってるだけど私はどうしたものか手足を思う様に動かす事が出来ない。私しゃ心から御前に惚れてるんだろうか、それでなけりゃあいつでも私はにげられるはずだ」
「そんな事どうだってようござんすわ、私の体からしみだすあまったるいどくにあんたはよっぱらって身うごきが出来ないんです。あんたが逃げたって必[#「必」に「(ママ)」の注記]して逃げおおせないと云う事を私は知ってますわ……」
「私がもしにげおおせたらどうする?」
「それじゃ今日っから蛇に見込まれた蛙がうまくにげ失うせるか見込んだ蛇の根がつきるか根くらべをして見ようかしら。
見込んだ蛇は死んでも蛙をのむと云う事は昔からきまってる……」
女は前よりも一層ひやっこい眼色をして云った。
「そんなことするにはまだ私はあんまり若い、やめようもう、あんまり先が見えすいて居ていやだから……」
男はかるく震えながらこんな事を云った。
女はいかにも心からの様に笑って立ち上った。その襦袢の上にお召のどてらを着て伊達をグルグル巻にして机の上に頬杖をついたお龍の様子をその背景になって居る地獄の絵と見くらべて男はそばに居るのが恐ろしいほど美くしいと思って見た。御龍のなめらかなひやっこいきめの間から段々自分の命を短くする毒気が立って居るらしく思われそのまっくらな森の様な気のする髪の中には蛇が沢山住んで居やしまいかと男は思った。
「私は御前を知らない方がきっと幸福だったろうネ又お前だってそうだったかも知れない……」
「幸福だの不幸だのってそんな事わたしゃ考えてませんわ。私は天からこうときまって生れて来たんだと思ってますもの、私は自分の力を信じてるんですもの……」
「アアほんとうにお前はけしの花の様な女だ」
「私自身でもそう生れついて来たのをよろこんでますわ」
女は男の心の中に自分の毒を吹き込む様にホッと深い息を吐いた。
二人の間に長い沈黙がつづいた。二人の心ははなればなれに手ん手に勝手なことを考えて居た。
「私はもう帰る」
男は思い出した様に立ち上って上《うわ》んまえをひっぱった。
「そう――」
女は別にとめる様子もせず玄関まで男の後について行った。
「又今度」
小さな声で男が云ったのに女はただ青白い笑を投げただけだった。
その笑が男には忘られないものの一つだった。しずかな中に女は体を存分にされないで男を自由にすることの出来る自分の力に謝してうす笑をした。いざりよって丸い手鏡をとって自分のかおをのぞいた。ふっくらした丸みをもった頬と特別な美くしさと輝きをもった眼、まっかな唇に通った鼻、顔全体にみなぎって居る何とも云えないうすら寒い気持――そう云うものを女は女自身に感じて、
「私は若い――そして人より以上の力を神から授かって居る。私は男をどんな身分の高い人でも何でも、男ならば自分のどれいにする力を持って居る」
手かがみをひざにふせながらよろこびにふるえる声で斯うささやいた。
「私は若いんだ――」くりかえして又つぶやいて手をのばしてあかりをけしてしまった。日の高くなるまで女はすき通る様なかおをしてねて居た。目ざめるとすぐ枕元の地獄の絵を見て女はねむたげな様子もなくさ
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