話で程近いM町の生糸屋へ奉公に遣らせられた。
M町はY町[#「町」に「(ママ)」の注記]と山一重越した丈の事であったけれ共、まるで世の中の違う程すべての事が都風で、塵をかぶって髪の毛も何も、モチャモチャにして居たお関は、行って七日と立たない内にすっかりM町の生糸屋のお仲どんになりすまして、油のたっぷり付いた大形な銀杏返しに赤い玉のつながった根がけなどをかけて「おはしょり」の下から前掛けを掛ける事まで覚えて仕舞った。
表面のはでに賑かな其処の暮しはお関に如何にも居心地がよくて、あばれでも手荒らでも何処か野放しの罪の無かったのがすっかり擦れて――自分の方からぶつかって擦れ切って仕舞った。
いつとはなしに釣銭の上前をはねる事も覚え、故意《わざ》と主人に聞える様な所で厭味を云う事も平気になって来ると、丁度すべてに変化の来る年頃にあったお関は種々の生理上の動揺と共に段々川を流されて行く砂の様に気付かない内に性質を変えられて来て居た。
その時頃からお関の今だに強く成ろうとも抜ける事のない病的な嫉妬心が萌え出して来て居たのである。
朋輩の仲よしをねたんで口を入れては仲違いをさせて見たり、煙草好きな主婦の大切がって居る煙管をちょっと布団の下にかくしてみたり、ちょいちょいした小悪戯をして居た。
けれ共やっぱり子供の時からの癖で働く事もなかなかよく働くので主婦等はかなり目を掛けて、自分の煙管をかくされた等とは一向気付かず時には半衿だの小布れだのを特別にやったりして居た。
用が激しいので大抵の者は厭に仕て居ますと云う様な、そうでなくてもお関程面白そうに賑やかにしながら立ち廻って居る者のない中なので主婦は、
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「あれは年に仕ちゃあよく働くね。
きっと永く居る積りなんだろ。
こっちも重宝で好い。
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などと話す事もあったしお関も又ずーっと居て此処からどっか似合いの所へ身の振り方も極めてもらおうなどとさえ思って居た。
此の間にお駒は同じ町の或る士族へ小間使に入って居た。
年寄夫婦と大きな息子が三人居る丈の至極静かな家だったのでお駒の気質に合って、主人達からも可愛がられ自分も仕事だの手紙の書き様だのを教えてもらって満足した日を送って居るうちに喘息を持病に病んで居た父親が急に貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]敗けをしてポックリと死
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