く立ちすくんで居たがやがてそろそろと障子際までずって行くと敷居から脱れそうに早く障子を引きあけて、
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「早くお上んなさいよお久美さん。
 さ早く。
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と云うなり、此方へ寄って来たお久美さんの肩をつかまえて揺った。
 お久美さんは案外落ついて静かな調子で、
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「駄目なのよ、
 足が大変汚れて居るから。
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と云って、低い駒下駄の上に、びっしょりになって所々に草の葉の切れたのや泥のはねた足を見た。
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「じゃ雑巾持って来るから。
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 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は長い廊下を台所までとんで行って雑巾をつまんで来ると、拭く間ももどかしくお久美さんを引きずる様にして障子の中に入れると、凡そ人間の入って来られる所々を一つも取り落しなくピタリピタリと閉め立てた。
 一箇所の風穴も無くて冬の最中の様になった部屋中を見廻して、少しは気が安まったらしい眼付になった※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は、漸うお久美さんの傍にピッタリと座って、堪らなく可愛い者の様にその手を自分の二つの掌の間に押えつけた。
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「どうしたのお久美さん。
 私もう真とに真とに驚いちゃった。
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と、始めて笑顔に成った時、自然と涙が滲み出て、物を云う声が震えるほどの満足が※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の胸に滾々と湧き上って来た。
 いつも物に感動した時にきっと表われる通りな、キラキラと眼を輝かせて、顔を赤くして口も利けない様に唇や頬の筋肉に痙攣を起して居た※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は、じいっとして下を見て微笑して居るお久美さんを、食べて仕舞い度い程しおらしい離されない人だと思って見入って居た。
 平常興に乗れば口の軽い※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は、斯う云う時に出会うと、殆ど唖に成った程、だまり込んで仕舞って、思いをこめて優しくお久美さんの手を撫ぜたり肩を触ったりが漸々であった。
「此の降る中をお久美さんは来て呉れた」それ丈の事が此の時に如何ほど重大な事件として※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の心
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