。多計代を愕ろかせないようにと、わざわざ使がやられた。その使はわざと、保さんは来ていませんかと云って、当時多計代やつや子のいた田舎へ行った。その先へ読み進んで、朝子は涙も渇いた二つの眼を瞠《みは》って居住まいをなおした。三月下旬に一度保はストーヴの瓦斯を出し放しにした室にいるところを深夜発見され、その夜は母も保も共に泣き云々。保さんは来ていませんかと云えば、それが多計代にとって十分一つの暗示になり得る状態だったとは、何事だろう。温室のことでこの春多計代から来た手紙の調子を朝子は閃くように思い出した。同じことについて、僕は大変愧しいと思った、という文章の下にアンダラインした保の心持も、今は全く別な複雑さ鋭さで理解されることであった。温室が建てられたのは、その直後だったのだから。この夏は一つ大いに愉快にやって見ようと思う、といって来たのも、保の心にはサスペンスとしてあった気持の明るい方への最後の一揺れだったのだ。それらすべての局面は朝子からひた隠しにされていた。それは母の希望によってそう計らわれていた。では父は? そういう問いが朝子の心におこった。父もまた、この不健全にいり組んだ家庭内の局面に対しては、最後まで何もなし得なかったのだ。悲観にとり乱した多計代の姿は手紙のなかに伝えられていず、そこには、田舎からかえって来ると、清浄無垢な保に対面するには心の準備がいると云ってその夜は寝室にこもっていて、翌朝紋服にきかけて保の遺骸の安置された室へ出て行った多計代の様子が語られていた。この場合清浄無垢とは、保の死に恋愛がかかわっていないという表面のあらわれについて云われているのであった。
仕舞の一枚を素子に渡してしまうと、朝子は沈鬱きわまる相貌で、窓の前まで枝垂れて来ている中庭の楓の葉の繁りに凝っと目をやった。古びた黄っぽい建物の翼に射している斜光が楓の葉の繁みを裏から透していて、窓べりはそとの濃い緑の反射で空気まで染められているようである。読み終って素子も口をきかない。そうやって暫くいた。
どこか遠くにきこえていた手風琴《ガルモシュカ》が、今度は公園のすぐ近いところで鳴り出した。それに合わせて、非常に甲高な、野原や山なら何処までも徹りそうな男の声が旋律をひっぱって急に調子の迅まる民謡風な歌のひとくさりを謡うと、一斉に手ばたきが入って、ヘイ! 何とか何とかと活溌な合唱が続いた
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