るにしろ百年であるにしろ。――だから、人間がどう生きるかということは、生きている間の時間が、そのひとの幸福と人間らしい成長のために、どう使われ、内容をつけられたか、ということで決定する。マルクスが、経済学の本に、特に、賃銀とはどういうものかということを研究した本のなかで、世界の勤労者に、君たちの時間は、どう使われているか、ということについて注意をよびおこしたのは、実に意味ふかいことであった。君たちの時間はどう使われているか、ときかれたとき、二十四時間の大部分が、労働のため「時は金なり」という格言を一分も忘れない企業家の利益のために使われていることの人間らしくなさに苦しんで、アメリカの労働者は、はじめてのメーデーに八時間の労働、八時間の休息、八時間の教育というスローガンをかかげたのであった。
労働時間のことは、労働組合のかけ合う問題という風にだけ考えることは、人間として大切なその意味をつかんでいないことになる。男女平等と憲法でかかれたとしても、男女が平等に十時間も十一時間も働いて、くたくたになって、かえったら眠って翌朝また出勤して来るだけのゆとりしかなかったら、その男女平等は、男女が平
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