辛いのです。真個に友子さんの云う通り、私は不幸なのだ、と思うと、政子さんには、訳もなく、寂しく情けなくなって来たのです。
 知らないうちに、政子さんは友子さんに同情されたのを喜んでいました。同情されると、政子さんは、到頭、
「其は随分いやな事だってあるわ」
と云いながら、涙組んでしまいました。
「そうでしょうね」
 何か考えるように首を傾《かし》げていた友子さんは、やがて政子さんの手を優しく撫でながら申しました。
「私達はこれから仲よしになりましょうね、政子さん、貴女の辛いことを、私出来る丈少くして上げることよね、政子さん。うちのお母様だってどんなにかお気の毒だと思っていらっしゃるわ」
 政子さんは、此の年上のお友達が、どう云う積りでそんな事を云い出したのか、訳が分りませんでした。けれども人と云うものは、どんな時にでも親切な、自分の辛いと思う事を辛いだろうと云って呉れる人を悦ぶものです。
 政子さんは芳子さんの悪口を云う人と仲よしになるのは何だかすまないような心持もしながら、それでも嬉しがらずにはいられませんでした。

 先生のお手伝をして、理科の標本室から教室を往復していた芳子さんは、こんな話が、友子さんと政子さんとの間に取換されたのは、ちっとも知りませんでした。
 けれども、それを知らないと云う事が、芳子さんの毎日の行いにどんな関係を持つでしょう。芳子さんは、何と云っても芳子さんである筈です。芳子さんは、相変らず、一生懸命に勉強しました。お気の毒な政子さんには、自分の出来る丈の親切をし、お友達のすべてに、よい仲間となれるように――芳子さんは先生が教えて下さる正しい事は、一つ残さず自分が行って見たいと思っているのです。
 それ故、先生が、背中を丸くしてお席に就いていてはいけない、体に悪い事です、と仰有れば、直ぐ自分の背中に気をつけました。人の悪口や、欠点《あら》計り探す事はいけないと分れば、どんな時にでも、それはしまいと心に願いました。
 人間は、花や小鳥や、天と地とがそうであるように、お互に助け合い、其の人々の持っているよい点を尚お磨きながら、楽しく睦じく、そして正しく暮して行くべきだと云う事を、芳子さんは知っているのです。
 ところが、或る日、五時間目の地理が済んで、皆と一緒に芳子さんも家へ帰ろうとして居りますと、受持の先生からお使が来ました。小使は、先生が御用ですからお帰りに教員室に来て下さいと云って、丸い、禿げた頭を振りながら出て行きました。
「何の御用なのかしらん」
 芳子さんは、お包を抱えながら、思わず独言を云いました。何でお呼びになるのか、一向見当がつきません。けれども、何も悪い事をした覚えのない芳子さんは、ちっとも不思議にも、厭にも思いませんでした。
 芳子さんはお包みが出来ると、政子さんに、「お先にお帰りなさい」と云って教員室へ入って行きました。
 机に向って、何か読本を読んでいらっしゃった先生は、芳子さんが入って来るのを御覧に成ると、椅子からお立ちに成って
「あちらへ行きましょう」
と、傍の扉をお開けになりました。
 其処は、ふだん使わない部屋で、参観人が、ちょっと休んだり、先生方の小さいお集りの時などに用《つか》う処なのです。
 人のいない処に連れて行らっしゃったのは、勿論、多勢の人々には聞いて欲しく無いお話をなさる為でしょう。
 芳子さんを、一つの椅子にお掛けさせになると、先生は少し更《あらた》まった口調で仰有いました。
「三田さん、政子さんは貴方と一緒のお家にいらっしゃったのですね」
「そうでございます」
 芳子さんと政子さんは、同じ一族の人々ですから、二人とも苗字は、同じで三田といいました。
「貴女とは従姉妹同志ですね。政子さんの御両親はいつ頃お亡くなりになりました?」
「私は、余り小さい時分でございますから、ちっとも覚えては居りません。けれども、きっと政子さんが三つか四つ頃の時でございましょう。」
「お可哀そうな方ですね、貴方は御両親がお揃で可愛がって下さるのだから、そう云う不仕合せな方には、出来る丈親切に、助けて上げなければいけませんね。」
 それから先生は、人と云うものが、決して学校で好い点を取る丈が立派なのではないと云う事、利口だと云って褒められて、他人の不仕合わせなのを思い遣らずに威張るようでは、真個に恥しいのだという事をお話になりました。そして、終いに
「貴女は、よくお出来になり、何でもよく物が分ってお出でなのですから、決して政子さんが辛いような事はなさらないでしょうね。」
と仰有った時、芳子さんは思わず先生のお顔を見た程思いがけない心持がしました。
 あの気の毒な政子さんを苛める! 若しそんな人が在ったら、芳子さんは真先に、其の人を咎めるでしょう。
 芳子さんは、はっきりと、
「決し
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング