て致しません」
と云いました。
「そうでしょう。なさらないでしょう。けれどもよくお気をおつけなさい」
 これだけのお話で其時はすんでしまいました。
 けれども、それから後、芳子さんには訳の分らない事が沢山起りました。
 時々、友子さんは、何か折があると、妙な当こすりのような事を云って見たり、一緒に遊んでいた政子さんをいきなり、
「貴女此方へいらっしゃいね、私共と遊びましょうよ」
と云いながら、別な方へ連れて行ったりさえしました。
 政子さんは、そんな時後から独りで考えると、真個にお気の毒な事をしてしまった、芳子さんはさぞ淋しかったであろうと思うのですけれども、皆がそうして呉れる時にきっぱりと、
「皆一緒に遊びましょう、芳子さんも一緒に」
と云う丈の勇気は、政子さんにありませんでした。
 学校でさえそう云わなかったのですから、家へ帰ればなおそんな事を云い出す時が見付かりません。友子さんや、友子さんのお仲よしの人々が多勢で来ると、政子さんは自分の思う通りには何一つ出来ない心持に成ってしまうのです。
 政子さんが思った通り、芳子さんは勿論淋しゅうございました。只一緒にいる政子さんを連れて行かれると云う丈なら、きっとそんなではありませんでしたろう。けれども、自分は出来る丈の親切と、よいと思う事をしてあげているのに、若しかすると政子さんは、自分の志を間違えて考えているのかもしれないと云うことが、芳子さんの心を苦しめます。
 芳子さんは、お饒舌《しゃべり》ではありませんでしたから、お友達の誰にもそんな事は話しませんでした。が、真個に芳子さんは時に情無くなりました。勿論お母様に御話しすれば、直ぐすべては、はっきり解るようになるでしょう。けれども、先に申した通り政子さんは、芳子さんの御両親のお世話に成っている人です。それですから、若し何か政子さんが思い違いしていた事が分ってひどくお小言でも戴くと、只さえ自分が孤児なのを悲しんでいる政子さんは、どんなに居辛く思うか知れません。芳子さんは、それを考えてお母様にさえ黙っていました。
 もう今から二十幾年か昔の女学校などは、近頃育った私共には、考える事も出来ない程、種々不完全な処があったものと見えます。
 お家がお金持だと云う事を、何より偉いと思った気の毒な友子さんは、自分の嬉しく思わない事を云った芳子さんをすっかり憎んで、芳子さんを苦しめ
前へ 次へ
全9ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング