六年一月から治安維持法撤廃までの執筆禁止の長い期間にあたっている。
 公衆の面前で、一定の人間を、これでもか、これでもか、というふうにあつかったことは、直接そういう目にあうものを極度に苦しめたばかりでなく、ある距離をもってそのぐるりをかこみ、その光景を目撃している、より多数の、より不安定な条件におかれているものの精神を毒することはおびただしかった。文学の領域において、作家の敏感性や個人主義の傾向は、この点で十二分に利用された。一九四一年(昭和十六年)の一月から、また、幾人かの作家・評論家が執筆禁止になった。三年前は、主として内務省がその仕事をやったものであったが、四一年には、情報局がこの抑圧の中心になった。噂では、けがらわしいリスト調製に無関係ではないと話される作家さえもあった。
 アメリカへの戦争準備を強行中の軍事力は専断のかぎりをつくした。情報局でこしらえたジャーナリストと役人との、執筆者リストのようなものを、そのころ偶然みたことがあった。それは、当時の輿論が、どんなにふみにじられたものであったかを証明した。ジャーナリストが、さまざまの意味から、執筆して欲しい作家をA・B・C級にわ
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