あった。
「じゃあ、ともかく稲子さんのところへ行ってみましょう」
「それがいいです、じゃ、いずれ――」
わかれて、省線にのり、やはり「きんとん」の包みをかばいながら、高田馬場からなじみふかい小瀧橋への通りを歩きながら、なんともいえず奇妙な落つけない気分がした。生きている。歩いている。考えたり、感じたりしている。まざまざと、日々の現実が心にてりかえされてくる。だのにそれを表現してつたえてはいけないということは、永年ものを書いて生きてきた自分にとって、自分という存在が実体を失って影だけになって、動いているように信じがたく、変なのであった。
稲子さんが、そのころ住んでいた家は、上り口のつきあたりが茶の間になっていた。
「こんにちは――」
といいながら、上って、茶の間に入ると、そこに稲子さんと窪川さんとがいた。ほかに、もう一人お客もあったように思う。
「執筆禁止だって――きいた?」
「ええ、さっき聞いたところ。ひどいねえ」
そういう場合、そういう立場におかれた作家たちのいわずにいられないたくさんの感想を話しあった。
正月になって幾日かして、近ごろ私が可哀想に思ってみたその写真がとられ、インタービューがされたのであった。
さらにそれから幾日か経て、中野重治と私とは、内務省の係りの役人のところへ、事情をききに出かけた。外から入ると、トンネルのように長く真暗に思える省内の廊下に面した一つのドアをあけると、内部をかくすように大きい衝立が立っている。その衝立をまわって、多勢の係員のいるところから、また一つドアがあって、その中に課長が一人でいた。デスクにむかい、折目の立った整った身なりの四十がらみの人であった。
中野重治が、訪問のわけを話した。作家としての生活権を奪われることは迷惑であることを話した。かりに、役人である人が、突然、無警告にクビになって、その朝から困らないだろうか。事情はまったくおなじであると、話した。課長は、けっして、生活権を奪おうなどと思ってしたことではないこと。第一、特定の人々を指名したわけではなかったのに、ジャーナリストの中の誰かが、漠然と暗示されたのでは編集上不安心で困ると、やかましくいって、役人側にリストを公表させたのだという説明であった。
「実際のことは、事務官があつかっていますから、ただいまこちらへ呼びます。どうか、よくおきき下さい。私は近く転
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