戦争中の日本政府のとりしまりは法外に苛酷非条理であったから、ツルゲネフやマクシム・ゴーリキイについて書かれた文章は、これまで、どっさり伏字があった。それらの伏字はこんどすっかり埋められた。その点から云えば、これらの文章も今度はじめて本来の体裁をもってあらわれたと云える。
 ゴーリキイについていくとおりもの文章が集められているが、これは重複していない。マクシム・ゴーリキイという一人の真に人民中の人民が、その野蛮と穢辱にみちた境遇からロシア人民の歴史の発展とともに、どんなに成長しぬいて行ったという足跡は、わたしたちに深い感動と激励を与えずにはいない。わたしたちは、克服しなければならないおびただしい不幸と偽瞞との中に生きて、それとたたかっているのだから。そして、文学の作品とそのつくりてである作家とは、明日の可能に向って、最も重大な責任を帯びる立場に立たされている。文学は、今日もう単なる個人の業績の問題ではなくなった。文学が歴史の鏡であるという事実はいよいよ明白である。
   一九四七年十月
[#地付き]〔一九四七年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
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