地区だった。尨大な数の不幸な人々と、顔色のわるい、骨格のよわいその子供たちとが、自分たちの運命をきりひらくために勇奮心をふるい起そうともしないで、波止場の波に浮ぶ藁しべのようにくさりつつ生きている光景は、どんな眠たい精神の目も、さまさせずにおかないものだった。ロンドンの二ヵ月ちかい滞在が、わたしを回心しようのない折衷主義ぎらいにした。それは、偽善的である以外にありようのない本質のものであることを、わたしに見せた。
「ワルシャワのメーデー」「スモーリヌイに翻る赤旗」そのほかは、かえって来てから一九三一年にかかれている。「ピムキン、でかした!」は、その年のはじめに日本プロレタリア作家同盟へ参加してから、農民文学のための雑誌『農民の旗』へかいたものだと思う。小説の形をとっているけれども、題材は、ソヴェトの新聞にでていた農村通信の記事だったと記憶する。だから現実に或るコルホーズ(集団農場)に起ったエピソードであった。こんにちよみかえすと、小説としてはごく単純だけれども、それぞれの農村でコルホーズがどんな過程で組織されて行ったかということが、この一つの例によってわりあいによくわかる。その点が、い
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング