ろいろな意味で参考になると思われる。
 このあとがきを書いている一九四九年四月十日の日本は、きょうから一週間を政府のきめた婦人の日として、新聞にはエリノア・ルーズヴェルト夫人からのメッセージがのせられている。日本の婦人が参政権を得て三週年を迎えたよろこびのあいさつに添えて、「世界じゅうの婦人が手をとりあって働きたいと願っていることを認識してほしい」という意味が語られている。「私どもはみな正しい平和をのぞんでいます」と。正しい平和というのは、ただ国と国との間に武力闘争がないというばかりではなく、それぞれの国の内部で人民の生活権が犯されていないことを条件とする。そして、それぞれの社会生活に人民生活が民主的に発展してゆく可能の道のひらかれている状態を意味することは明白である。
 第二次大戦で死んだ人の数は四千万人と発表されている。そのうちで、戦闘員だったものは千五百万人、最低その三倍の非戦闘員が、空襲とナチスやファシストの強制収容所、地下の抗戦運動で殺害されている。(ハーレー・グラタン氏の調査)日本の軍部は、太平洋戦争で百八十五万人を死なせた。全国には百八十万人の未亡人が飢餓線に生きている。千円二千円で子供らは売られている。
 ソヴェト同盟は第二次大戦にナチスとの戦いで七百五十万人を失った。連合国のなかでは最も犠牲が大きかった。またフランスをのぞけば最も深く国内をナチスによって破壊された国である。
 平和と建設の生活を確保するために、わたしたちは、どんなに眼界のひろい、世界の実際の事情に通じた人民とならなければならないだろう。日本が地理的に大陸からぐるりを海できりはなされているという偶然の条件を、もうこれ以上人民の歴史の不幸の原因としてはならないと思う。わたしたちの世間知らずのために、種々さまざまのあることないことを外国についてきかされっぱなしで半信半疑でいることは、もう今では、恐ろしいことである。戦争挑発者にとって最もほくそ笑まれる状態は、ある国の人民の間に、はっきりとした根拠はないけれども、一つの国に対してしつこい偏見が永年の間に植えこまれているという状態である。ヒトラーは、フランスの指導者たちの間にあったひとつの偏見「イギリスぎらい」をどんなに巧みに利用しフランスの敗北をひきだしたろう。いま毎日新聞に連載されているチャーチルの回想録をよんでもそれははっきりわかるし、最近並河亮氏が訳したアプトン・シンクレアの大長篇の一部「勝利の世界」をよんでもまざまざと描きだされている。主人公ラニー・バットは、フランスがヴィシーに政府をうつすようになってのち云っている。「ナチはイギリスを憎んでほしいとフランス人に要求している。何故ならイギリスは彼らに対抗する最後の防波堤だからだ」と。フランスやドイツの人民は、今日の壊滅におちいった心理的な原因として、二つの国の間にある、伝統的なさまざまの偏見を、戦争商売人に利用されたのだった。日本の人民が明治二十七八年の戦争以来、敗けない日本軍の幻想と偏見にだまされつづけて、国内のファシズムに抗争する正当な世界情勢についての判断をうばわれ、そのための真実な気力も失わされていたように。
 わたしたちは、こんにちこそ、国際的な先入観や偏見から自由に解き放されなければならないときだと思う。同時に、自国の権力が与えるめかくしも、拒絶すべき時期だと思う。偏見のない人民こそは、最もあざむきにくい民である。
 第九巻には、主としてソヴェトの文化・文学の問題が集められ、十八年前にかかれたソヴェト生活のレポートは、きょうはじめてややまとまった一冊として出版される。この本が編輯されるまでに集めることのできなかった数篇をのぞいて。ソヴェトとして、この本にしるされている見聞は、ふた昔ちかい時代のことになっているだろう。しかし、日本のわたしたちにとっては決して古びて役にたたない歌のふしではない。なぜなら、こんにち十八歳になった日本の青年男女たちは、いちども、こういう事実は見知らされないで成人して来なければならなかったのだから。そして、青春こそ、いつも歴史の英雄であり得るとともに、いたましい犠牲でもあるのだから。わたしはこの一冊を、すべての偏見をこのまない、善き人々におくる。
   一九四九年四月十日
[#地付き]〔一九四九年五月〕



底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「宮本百合子選集 第八巻」安芸書房
   1949(昭和24)年5月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このフ
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