タムが出て来た。息子のスーラーブの名も。ルスタムとスーラーブの物語は昔のペルシア人が、云いつたえ語りつたえ、ミニェチュアにして描きつたえた物語だったことがわかり、同時に、その昔譚のあらましも知ることが出来た。
わたしは、小樽新聞の小説のことを思い出した。自分の生活や心の内の風浪とかかわりのないルスタムの物語ならかえって書けそうに思えて来た。その気持はだんだんはっきりして来て、やがて、どうしても勇気を出してこの物語は書き終せなければならないと決心するようになった。手に入るだけの材料からノートをつくって、それをもってその夏福井県の田舎の村へ行った。わたしが一緒に暮していたひとの故郷がその村であった。農家にふさわしくない金ぴかの大仏壇が納められていた。七十歳だった老人は白髯をしごきながら炉ばたで三人の息子と気むずかしく家事上の話をして、大きい音をたてて煙管をはたき、せきばらいしながら仏壇の前へ来ると、そこに畳んである肩衣(かたぎぬ)をちょいとはおって、南無、南無、南無と仏壇をおがんだ。兄の嫁にあたるひとは、おはぐろ[#「おはぐろ」に傍点]をつけていた。無口なおとなしい人で、いつもはだし[#「はだし」に傍点]で内井戸のある石じきの台所で働いたり、畑で働いたりしていた。
そういう家の屋根裏が物置きになっていた。板じきの真中に四畳たたみが置いてある。わたしは、そこへ小机をおいて、ルスタムの物語を書きはじめた。
遠くに白山山脈の見えるその村は、水田ばかりであったから、七、八月のむし暑さは実にひどかった。涼しいはずの茅屋根の下でも、吹きとおす風がないのだから、汗ふき手拭がじきぬれた。老人は、毎日毎日汗をふきながら机に向っているわたしを可哀そうに思って、ある日、河原から幾背負いもの青葦を苅って来て、それを二階の窓の下につき出た木片《こば》ぶきのひさしにのせてくれた。こうすれば反射がよわくなっていくらか凌ぎよいものだ、と云って。
厚くしかれた河原の青葦は、むんむんと水気を蒸発させ、葦が乾いて段々枯れてゆくきつい香りを放散させ、わたしは目がくらみそうだった。それでも八月の二十日すぎて東京へかえるとき「古き小画」は出来あがった。
「古き小画」は宮原晃一郎氏を通じて小樽新聞にのせられた。そのきりぬきをこしらえてもっていた。何年の間、わたしはそのきりぬきをもっていただろう。それはいつか
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング