モメント――新しく自分におこって来ている恋愛のあいてとその人との間にある思いが、人間の明るさより暗さを、素直さよりもより深く鬱屈を暗示したということは微妙なことだったと考えられる。「渋谷家の始祖」の主人公が病的であった原因は、富裕な階級の未亡人に甘やかされて社会性を鍛えられずに青年となった人間の醜さと悲劇である。作者が恋愛した人との現実で苦しんでいた、人生に対する対手の狐疑[#「狐疑」は底本では「孤疑」]、逡巡は、貧困や孤独[#「孤独」は底本では「狐独」]な生活経験からたくわえられたものであった。作者が重い比重で自分の存在にのしかかって来て、深い悲しみを与えられた人間のそういう気持を、資本主義社会の逆境で歪んで来た人間性においてとらえ作品化すことが出来ず、反対に、有閑の上流生活において腐敗させられてゆく人間の生活力として把えているところも面白い。作者は計らずも、自身にとってその害悪の実感される環境において、人間性の浪費の悲劇を描いたのだった。
「三郎爺」は一九一七年にかかれた。「古き小画」とは数年をへだてている。それにもかかわらず、一つの面白い共通点がある。作者はこの二つの作品のどちらにおいても、封建的な主従関係をある点では全く無批判にそれなりのいきさつで描き出している。しかしながら物語の最後ではそういう形で人との間にきめられている関係が、三郎爺をもルスタムをも、哀れむべき存在とし残酷に扱われた人間としていることを作者が見のがしていないことである。そして、それを見のがさず、むしろその一点に人間的哀感を傾注してテーマを展開させてゆく作者の心を支配しているのは、今日で云われる反封建の意識でもないし、階級性とよばれるものでもない。こういうテーマの展開の中には「貧しき人々の群」の余韻がある。作者はいつも人間的立場にたっており、しかし、その人間的な立場の現実的な内容について、まだ科学的な歴史と階級について理解に到達していないのである。
 一九二三年と云えば日本では、無産階級解放運動の初期で、アナーキズムとボルシェビズムとの対立の時代であった。年鑑の頁をくってみれば、この年五月にはソヴェトからヨッフェが来ている。普選で成功するために総同盟が右翼化することを決定した年でもある。無産階級文学運動の中にもこの対立がはげしく反映した。江口渙、壺井繁治、今野大力などアナーキストであった作
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