にかかれ、複雑で困難な転向の問題をとりあげている。こんにちのわたしとしては、もう一つ二つのことに触れられていたら、もっとよかったと思うところもある。その主な一つは、治安維持法そのものの野蛮性の抉剔についてである。なぜなら、横光利一の心理主義がそこにぶつかって跳躍台としている「マルクシズムという実証主義の精神」というものの実体も、現実を掘り下げてみれば、ぶつかっているのはマルクシズムよりも、より手前にある治安維持法の威嚇である。多くの人は、人間が野蛮と暴力に耐えがたいという自然な弱さで――それだからこそ人民は非人間的権力や戦争に反対してたたかうことを余儀なくされるのであるが――生の防衛の本能にみちびかれて、行動せざるを得なかった。
こんにち、いくらかひろげられている発言の範囲で考えると、当時論じられた日本の転向の問題は論法のすべてを一貫して、観念的な傾きがつよく見られる。日本の治安維持法は、マルクシズムを放棄させ、運動から離脱することを要求したばかりでなく、更にすすんでその人がファッシズムに従うように強制した。マルクシストであったものこそファシストになるべきとされた。ここに、おどろくべ
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