本の市民生活に正常な国際性はかけていた。日本人民は世界を意識した明治のはじめに、もう世界を、競争の相手、負けてはならない国として教えこまれた。ひきつづいて超国家主義の大東亜共栄圏の観念にならされた。こんにち、かつての大東亜圏の理論家のあるものは、きわめて悪質な戦争挑発者と転身して、反民主的な権力のために奉仕している。
「プロレタリア文学における国際的主題について」は、それらの問題についてある点を語っているが、この評論のなかには、きょう、一つの参考となる経験が語られている。
それは「ズラかった信吉」の失敗にふれている箇所である。当時、わたしは、この作品の失敗の理由を、大衆的なものがたり形式にせず小説とした点においている。しかし、こんにちになってみると、「ズラかった信吉」の失敗の原因は、単にそれだけではない。というよりも、その失敗にふくまれて、研究されていいいくつかの問題があることが理解される。そこには、こんにちの民主主義文学運動のなかでさえも、右や左へゆれながら論じられている文学の「大衆性」「啓蒙的役割」の理解の問題がひそめられているし、各作家の特質についての具体的観察の問題があり、創
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