年前の、この文化擁護の運動の経験から多くのものを学びとっている。こんにち、平和擁護と独立のために自身の立場をあきらかにしている人々のなかには、かつて、新しいヒューマニズムの希望を奪われた人々、計らずも自分たちの手からその希望の鍵を奪いとらせた経験をもつ人々を包括している。
ファッシズムに反対する運動は、非人民的権力に対して譲歩的でない本質に立たずにはあり得ないこと。文化を擁護するということは、市民的自由と基本的人権の擁護なしに存在しないことが、こんにちでは、自明となっているのである。
ファッシズムへの抵抗、平和擁護の一つをとってみても日本の人民的民主主義の全局面が、現在どんなに国際的条件にかかわりあって来ているかがよくわかる。
異国趣味《エキゾティシズム》を通じて、より進んだと信じられている文化形態を通じて、民族の人民的文化の質が隷属状態に変化してゆく危険がある場合、国際性《インターナショナリティ》は、はっきり、ブルジョア文学の個人主義にたつ世界人主義《コスモポリタニズム》と区別されなければならない。また、観光用国土、人民としての国際性から区別されなければならない。
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