造活動のうちに包括される啓蒙のための文筆活動の評価の問題もある。
『戦旗』が一九二九年ごろ、片岡鉄兵の「アジ太・プロ吉世界漫遊記」をのせて大好評であった。一九三一年に「ナップ」は、数人の作家に課題小説をわりあてた。農民小説は誰、労働者小説は誰、という風に。そして、作者はソヴェト同盟の生活をどっさり紹介しているからソヴェト小説を、とうけもたされた。『改造』に半年ほど連載して中絶した。検挙という外部からの理由でなしに中断した唯一の作品である。
 いま考えれば、作者によって、あれだけ多量・広汎にソヴェト生活報告は執筆されているときであるから(選集第八、九巻)「ナルプ」は、啓蒙的な必要のためには、最もじかにその目的をもって書かれているそれらの紹介を集め、出版し、普及させるのが、能率的であり、活溌な方法であった。しかし、当時の「ナップ」指導部はそう考えず、作者自身も、そういう標題小説が、はたして可能であるかどうかを深く考える力をもたず、割当に服した。ソヴェト同盟に関する場合、社会主義建設の事業は現代大きい摩擦のうちに行われている厳粛な人類的事業であり、多面的であり、当然矛盾ももっている。正直な、客観的観察とその報告《ルポルタージュ》しか、そこにある現実をつたえにくい。小説化すことは、危険をもっている。ソヴェト作家にとってさえ、それはしばしば大きすぎる主題としてあらわれているくらいである。
 一九四九年のこのごろ、ジャーナリズムの上では記録文学《ルポルタージュ》流行がはじまっている。国際的な題材のルポルタージュがふえているのであるが、そのどれもが、国際間の現実を正しく反映しようとしているのでないことは、誰しも気づいている。現在、最も歪められて扱われているのはソヴェト同盟に関するルポルタージュである。それは日本の内にひそんでいる戦争挑発者によってそそのかされてジャーナリズムの上に現れるばかりでなく、在パリその他の外国都市に生活する人、旅行している人々の通信が、ルポルタージュの形をとりながら大きく歪曲をふくんでいる場合が少くない。
 まじめに世界平和を希望している日本のわたしたちにとって、「フランス通信」で知られている瀧沢敬一が、世界平和のための積極的な発言者であるジョリオ・キューリー博士を政治的な嘲弄の言葉で通信にかいているのを見れば、平和を希う世界の良心に加えられた侮蔑と感じず
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