越えがたい一線があるかのように行動した。この方法は誰のためにもならなかった。というのは、当時文学者として自分ぐらいの者になっているものはいいが、まだ人の世話になって小説の修業をしているような文学青年は、ペンをすてて戦場へ赴くべきだといった室生犀星をはじめとして、能動精神をとなえた作家のすべてをひっくるめて、文学は戦争宣伝の道具に化していったからである。

 こんにち日本の文学者はにがい過去の経験によって、権力によってだまされにくい現実的な智慧をもった人々として成長してきている。世界ファシズムがふたたび擡頭していること、日本の屈従的な政府は、自身の反歴史的な権力維持のためには、人民生活を犠牲にして大木のかげに依存していることなどについて明瞭に理解してきた。一九四八年のなか頃から、国内にたかまってきている民族自立と世界平和と、ファシズムに反対する文化擁護の機運は、決して一部の人の云っているようにジャーナリズムの上の玩具ではない。こんにち、平和を支持し、ファシズムに反対する作家たちの一人一人が、その創作の現実で、新しいより社会的な創作方法にまで歩み出しているとは云えないけれども、日本の現代文
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