あきたりないでいる大衆が、もっと生活に密着した文学を、と求める声に応じてその要求をとりあげるよりヒューマニスティックな文学論のようにさえうけとられたのであった。しかし、現実は反対であった。ファシズムの文化政策はその溝をとおって作家と知識人の批判精神をふみつぶし、よらしむべし、しらしむべからずの大衆性[#「大衆性」に傍点]へ追いこんで、大衆そのものの人間性さえ抹殺するたすけにした。
今日、中間小説が一部の作家から現代文学の正統的な発展であるかのようにいわれている。だが、わたしたちが世界史のすすみゆく現実と、日本の人民の未来とを着実にみとおして、本当に日本の文学がより多数の日本の人々のヒューマニティを語るものとなるような創作の方向をみいだそうとするとき、現実と文学の関係において、作家の人間的・社会的責任をひきぬいた風俗描写一点ばりの中間小説なるものを果して歴史にたえる文学の創作方法として見ることが可能であろうか。
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:「宮本
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