精神総動員的な全体主義文化論が提唱されて来ていた。文学は、当時の軍人、官吏、実業家の中心問題をその中心課題とすべきだという「大人の文学論」(林房雄)。客観的には、批判の精神を否定して、「知らしむべからず、よらしむべし」の全体主義文化政策に知識人が屈従するための合理化となった「文化平衡論」(谷川徹三)。「文学の非力」(高見順)という悲しい諦めの心、或は、当時青野季吉によって鼓舞的に云われていた一つの理論「こんにちプロレタリア作家は、プロレタリア文学の根づよさに安んじて闊達自在の活動をする自信をもつべきである」という考えかたなどについて、作者は、ひとつ、ひとつ、そこにひそめられているファシズム文化政策への追随の危険をえぐり出そうとしている。
 日本民族文化の優位性を誇張し、妄想する超国家主義の考えかたから、真の民族生活の存在のありかたをはっきり区別しようとして、横光利一をはじめ、亀井勝一郎、保田与重郎、中河与一等の「日本的なもの」へのたたかいを行っている。
 一九三三年ナチスが政権をとってのち、フランスを中心としてヨーロッパ、アメリカには反ファシズム文化擁護の大運動がおこっていた。
 一九三四年八月十七日から半月の間モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で「五十二の民族、五十二の言葉、五十二の文学」を一堂にあつめて第一回全ソヴェト同盟作家大会が行われた。そのとき、フランスからロマン・ロラン、バルビュス、マルローその他の作家が招待された。招待された作家たちの全部が出席することは出来なかったらしいけれども、この大会が与えた文化の守りについての深い感動と認識にたって、翌る年の一九三五年六月にパリで第一回文化擁護国際作家大会がひらかれた。この大会には、ドイツ、イタリア、日本をのぞいて、中国その他各国から代表的な進歩的作家が集った。そして「文化遺産」「社会における作家の役割」「個人」「ヒューマニズム」「民族と文化」「創作上の諸問題と思想の尊厳」「組織の問題」「文化の擁護」の諸課題について討論されたのであった。
 第二回の文化擁護国際作家大会は、一九三七年十月、内乱のスペインに開かれた。この大会は、フランコのファシズム政権に反対してたたかっているスペインの共和政府の所在地バレンシアに第一日の集会をひらき、のちマドリッド、バルセロナと移って、十日間つづいた。
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