にこの短篇をかいた。そして『新潮』に発表した。「鏡餅」はこんどはじめてこの本に集録された。一九三〇年の暮日本プロレタリア作家同盟に参加し、「小祝の一家」あたりから、進歩的な作家としての作品が少しずつかかれるようになった。「乳房」は、プロレタリア文学の運動に参加してからの一番まとまった、努力した作品であった。ソヴェトに翻訳された。一九三五年四月に中央公論に発表されて間もなく五月十何日であったかに、再び検挙された。
「おもかげ」「広場」二つとも一九三九年の暮にかかれた。きょう読むと、どっちも、ほんとに苦しい小説である。主題が緊張しているばかりでなく、云いたいことを云わせられず、書きたいようにかかされない、その手枷、口枷のなかで、もがいたり呻いたりしている作品である。しかし、作者とすれば、段々戦争が進行して来て野蛮なファシズムの圧力が文学を殺そうとすればするほど、人間として作家としての一生に、深い関係をもった弟の自殺前後のことやソヴェトから帰る前の心もちが、かえりみられ、書かずにいられなかった。
 この第四巻には、「一本の花」「赤い貨車」をのぞいて、一九三二年から一九四五年八月まで、進歩的な
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