に訴えるものがある。鳴ろうとして鳴るためには何かがかけているという心の状態が朝子によって現わされている。「一本の花」は、作者にとって、作家生活の前半期のピリオドとなった作品である。「貧しき人々の群」から、さまざまな小道に迷いこみながら「伸子」に到達し、それから比較的滑らかにいくつかの短篇をかき、やがてそういう滑らかさの反復に作家として深い疑いを抱きだした、その最後の作品であるから。この作品を書いて程なく、ソヴェトを中心とするヨーロッパ旅行に出発した。
「赤い貨車」は一九二八年の夏、ソヴェトで書いた。レーニングラードの郊外の「子供の村」という元ツァーの離宮だった町に、プーシュキンが学んだ貴族学校長の家が、下宿《パンシオン》になっていた。そこで書いた。一九二八年の八月一日には、弟の英男が思想的な理由から二十一歳で自殺した。そのしらせを、「子供の村」の下宿でうけとった。「赤い貨車」は小説とすると、比較的外部からかかれている。しかし、当時のソヴェトの生活のごく日常的な面を、自分の見たままリアルにかこうとしている点には意味がある。もっとも「赤い貨車」をかいた頃、作者は自分の見ているソヴェトの現実
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