あとがき(『モスクワ印象記』)
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しらふ[#「しらふ」に傍点]で話されていた
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わたしがソヴェト同盟に暮したのは、もう二十年も前のことになる。一九二七年の暮から三〇年十一月までのことであったが、三一年から三二年までわたしはずいぶん沢山のソヴェト社会の日常生活や文化・文学についての報告を書いた。そしてそれらは、書いているわたし自身がそこで暮した新しい社会生活の姿にいきいきとして新たな感動をよみがえらしたように、沢山の人によまれて人民生活のゆく手の明るさを感じさせた。
一九三二年の春からのち、日本のすべての人の生活がはげしいファシズムの笞で侵略戦争に追いこまれはじめた。侵略戦争の遂行のためにわたしたち人民の口はふさがれ、眼にカーキ色の幕がはられた。バイカル湖まではこちらで貰うというようなことがしらふ[#「しらふ」に傍点]で話されていた時期に、ソヴェト同盟は日本の軍国主義者にとっての侵略目標であった。そして世界平和と人民生活の安定のための社会主義建設に努力するソヴェト
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