間だの、急におとなしくなった家のものだのに向って感じる信頼の出来ないいやな心持が、極めて率直に語られている。富美子の生麦弁を「言葉の気魄」とかいたりすることへの皮肉な気分も書かれていて、それ等の反撥はいずれも同感をもって思いやられた。野生な自然な反撥があるのだが、同時に野沢富美子が、その反撥をバカな流行唄をジャンジャン歌うというような形でしか表現することを知らないことに、心からの気の毒さを感じる。深い時代的な意味も加わってこの気の毒さは感じられるのである。所謂お品をよくするのでなしに、彼女の生活力と文才とを健全に成長させ、境遇の意味をひろい視野から理解させてやることこそ周囲の人の責任であろうと思う。
[#地付き]〔一九四一年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「朝日新聞」
   1941(昭和16)年1月15日号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
青空文
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