う石坂洋次郎の小説があった。そこでは歴史の或る時代の或る種の女の動きが、劇画化されて描かれた。題が同じだということばかりでなく、この「麦死なず」の詩に女の真情的なもので同じ現象が見られていると思う。女には
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しかしその時期の間に
少くとも年輪は一個ふえた
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事実が感じられているのは意味ふかいことである。
すべての詩を愛す女のひとたち、あらゆる文学の仕事を愛しそれに従って行こうとする女の人々に私は特にこの詩集の中の「流れるごとく書けよ」の一篇をおくりものとしたい。
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(前略)
あゝ腐葉土のない土に
種まく日本の女詩人よ
自分自身が腐葉土になるしかない女詩人よ
なれよ立派な腐葉土に。
あらゆることを詩でおもい
あらゆることを詩でおこない
一呼吸ごとに詩せよ。
日記をかくようにたくさんの詩をかけよ
手紙をかくようにたくさんの詩をかけよ
(中略)
時々刻々に書き書けば
成りがたい彫心縷骨の一篇よりも
更に山があり谷があり
貴女の姿のまるみのみえる
逆説的の不思議はそこに
普段着のごとく書けよ
流れるごとく書けよ
まるでみどりの房なす樹々が
秋にたくさん葉をふらすのように
とめどもなくふってその根を埋めるように
たくさんの可能がその下にゆっくり眠るように。
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女は女自身女の詩[#「女の詩」に傍点]という観念の枠が、時のあゆみのなかでもうはずされていいことを知らなければならない。一人でも多く、妻となり、母となり老婦人となってそれぞれの真実に立った詩を生む女詩人が生れなければならない。日本では男でさえ、詩情は青春の発露のように思い、またその程度の人生感銘の精神しかもたない例が多い。詩人らしいということは、線が細いと同義語のようにつかわれ、いくらか鋭い感受性といささかの主観のつよさと、早期の枯凋とを意味するとしたら、それは人間としてくちおしいことだと思う。
習俗のつよい圧力は、女が詩をつくる心をもって生れたという一事で既に、その人の人生に或る摩擦と波瀾とを予約するというのが私たちの生きる現実のありさまである。けれども、女一人を波瀾に導くその力そのものがとりもなおさずそのひとを立ちあがらせ、やがて歩ませる力でもあるということは、つきぬ味のある実際である。そ
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