やがて、社会の偏見にいためつけられきって、命をおとしている。
 トーマス・マンの「魔の山」は、スウィスの豪奢な療養所内の男女患者の生活を描いているが、この手のこんだ心理小説も、結核とたたかう地道《じみち》な人々の人生を語るものではない。
 わたしが、これをかいている机の上にのっている十篇の原稿は、これらの有名なむかしの小説と現代の結核についての認識の間にはっきりとした歴史のあゆみがあることをくりかえしている。これらの作品の中で、結核と戦争、民衆生活の貧困、療養のための社会施設との関係が見おとされているのは一つもない。人類の社会が、より健康に、より少い悲惨をもって営まれるために、結核菌はどのような方向で征服されてゆかなければならないかということが、すべての作品の底を流れて語られているのである。そういう意味でこれらの作品は、あたりまえの文学作品一般をよむ目とは、いくらかちがった角度からよみとられていいと思う。すなわち、結核に対する人間の新しい態度――より科学的により社会的に、人間を不幸にするこの細菌は退治られなければならないという態度をめやすとしていいと思う。気分や、雰囲気から描かれている
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