なのは、どうかして自分たち女が、実にいい愉しい妻であり、母であって、同時に自分自身の生活というものも持ってゆきたいという要望ではないだろうか。女であるから男を愛する自然さもわかっている。愛したものが互に生活を最も密接させたくて、結婚する必然の動きもわかっている。愛するものとの間に子供をもつのはどんなにうれしいことだろう。けれども、それらすべてのうれしいことが、女の今日の生活の現実では女が自分をみんなその生活のために献げつくしてしまわなければ獲られないものだとすると、若い女性の心には何かしら抵抗が生じると思う。何かしら漠然とした悲しみと不安と躊躇が生じる。果してそうしか女として生きる方法はあり得ないのだろうか、と。
パール・バックの「この誇らかな心」という小説は、生活の現実としてそういう課題を感じている今日の日本の読者にどんな感銘を与えているだろうか。
作者がこの一篇の女主人公として描き出しているスーザン・ゲイロードは、女のなかの女ともいうべき豊饒な、生活力に満ちた、彫刻の才能にめぐまれた一人の若い女性である。世界で一番いい妻になって、一番いい母になって、そして石や青銅で美しい像をつ
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